「吸血鬼なんてものがいるわけがない。そんなものは、仮死状態の人間の蘇生を見てしまった人間や、血を飲めば若返るなんて馬鹿な邪説を信じた阿呆共が作った与太話だ」 星矢の感嘆とも驚嘆ともとれる大声を、氷河が即座に撥ねつける。 「でも、俺、実在した人物だって聞いたことあるぞ、ドラキュラ」 「ドラキュラは実在したさ。ワラキアの――今はルーマニアか――ヴラド・ツェペシのことだ。だが、奴は普通の人間だし、ルーマニアじゃ、オスマントルコの脅威から国の独立を守り通した祖国の英雄で通っている」 室内には、冬の南欧の、強くはないが明るい陽射しが溢れている。 客人に着席を促すより先に、氷河はそこにあったイタリア製の布張りのソファにどっかと腰をおろした。 「ブラム・ストーカーが、奴をモデルにして『吸血鬼ドラキュラ』を書いたせいで、ドラキュラは吸血鬼の代名詞になっているようだが、ドラキュラというのは、ヴラドの別名にすぎない。父親がヴラド・ドラクルという名で、その子だからドラキュラ。本来は、龍の子とか悪魔の子と言う意味だ」 最初から氷河にホスト役など期待していない星矢は、彼の無礼に気を悪くした様子もなく、勝手に自分の席を決めてしまった。 「なんだ。血を吸ったわけじゃないのか」 「トルコ兵を串刺しの刑にして、その様子を眺めながら食事をとったという記録は残っているようだが、人の血を啜ったなんてことはない。それこそ、龍か悪魔のように強く残酷だったせいで、バルカンの土着信仰の悪魔に重ねられるようになっただけの、ただの人間だ。臣に裏切られての非業の死だったから、肉体が滅んだくらいのことで、その恨みが消えるはずがないと、民衆に思われたんだろう」 「詳しいんだな」 感心したように言ってから、紫龍が、こちらは瞬に腰掛けるように促された肘掛け椅子に腰をおろす。 「ワラキア公国のあったルーマニアは、旧ソ連邦には属していなかったが、昔は共産圏だったからな。俺の母方の曽祖父はルーマニア人だ」 「ドラキュラの国の血が入ってるわけか」 「バルカンの人間はみんな吸血鬼だとでも言うつもりか。馬鹿げた話はやめてもらおう」 氷河の口調が、やけに刺々しい。 星矢と紫龍は、氷河がぶっきらぼうな男だということは重々承知していた。 が、今日ばかりは、それを笑ってやりすごすことはできない。 音信不通の氷河たちを――瞬を――心配した星矢と紫龍は、聖域の力を借りて、二人の住まいをやっと探しあてたのである。 そして、星矢たちは、無理を言うというより、ほとんど押しかけるようにして、この家にやってきた。 氷河の機嫌を損ねて、以後の来訪を禁じられてしまうのは不本意の極みだった。 「冗談に決まってるだろ。いちいち突っかかってくるなよ」 「歳をとっていないのは、おまえじゃなく瞬の方なんだし、ロザリオを持ってる吸血鬼なんて聞いたこともない」 星矢と紫龍は、ほとんど同時に、これは話のための話にすぎないのだということを氷河に訴えた。 それで即座に氷河の機嫌が直るはずもなかったが。 「陽の光を浴びて平気な吸血鬼というのも聞いたことがないな。今は大した花も咲いていないが、暖かい季節には、瞬は毎日その中庭の花の世話をしている」 氷河の刺々しい口調が改まることはなかった。 むしろそれは、噛みつくような口調へと、更にエスカレートしていった。 「瞬が変わらないからと言って、難癖をつけるのはやめてもらおう。瞬が吸血鬼なら、真っ先に俺の血を吸って、俺を不老不死にするはずだ」 「だから、冗談だって言ってるじゃないか! 瞬の奴、どこ行ったんだよ!」 氷河と共に来客を客間に案内してきたはずの瞬の姿が、いつの間にかその場から消えていた。 氷河の機嫌が悪くなった時、瞬にとりなしを求めるのは、今も昔も変わらないのかと、紫龍は星矢の慌てぶりに苦笑した。 |