「本気だったさ。もちろん。でなければ、私がこうして、この子の魂を奪い取れるはずがないだろう?」 そんな瞬の考えを嘲笑うかのように、彼女は瞬に告げた。 「この子はね、おまえの目が自分にだけ向いてないのが嫌だった。おまえが誰にでも優しい目を向けることに傷付いていたんだよ。ひとりで、勝手にね。そして、自分の母親がそうだったように、おまえの目と心を自分にだけ向けたいと願ったのさ」 「…………」 氷河が、彼の母親を深く愛していることを――彼女が亡くなってしまった今でも――瞬は、よく知っていた。 彼女の愛情は、では、おそらく、彼女の息子ひとりにだけ向けられていたのだろう。 氷河が自分の母親を忘れられない訳もわからないではない。 彼女がいつも氷河だけを見詰めていたのだとしたら、彼女を愛していた人間も氷河ひとりだけだったのかもしれない。 となれば、氷河が自分の母親を忘れてしまうことは、彼女を憶えている人間が、この世から消え失せてしまうということでもあるのだ。 「私は願いを叶えてやった。おまえは、今と、これからしばらく、この子のことだけを考えるようになるだろう。自分のために魂を捨ててしまった哀れな子に、感じなくてもいい良心の痛みを感じながらね。私は、その代償に、この子の魂をもらったのさ」 大切な母親を失った氷河は、彼女と同じような愛情を、誰かに求めずにはいられなかったのかもしれない。 「人間というのは、愚かだね。望むものを手に入れたところで、それを喜ぶ魂がなかったら、何にもならないというのに」 そんな氷河の切ない願いを、おそらくこの女神(?)は、ただのいたずら心で叶えてやってしまったのだ。 「この子以外にも、たまに会うよ。自分を見て欲しいがために、わざと自分を傷付けたり、命を投げやりに扱う人間を。そのために、本当に死んでしまう人間だっている。無意味なことだ。そうして、誰かの心を自分に向けることができたとしても、それは、ほんのいっときだけのことにすぎないというのに」 そんな女神を、瞬は許せなかった。 「氷河の魂を返して。あなたが氷河の願いを叶えてあげなくても、僕は氷河を見てるから」 「代わりにおまえは何をくれるんだい? おまえの魂か、それとも命か?」 「僕には、あなたにあげられるようなものは何もないよ」 自分の魂を――とは、瞬には言うことはできなかった。 それは、氷河や他の仲間たち――生きている仲間たちと共に在るべきものだった。 「おや、おまえは子供のくせにお利口さんだね」 瞬の答えを聞いた女神は、ひどく楽しそうに笑った。 「では、お利口さんに免じてチャンスをあげよう」 楽しそうに――言葉を続けた。 「こんなふうにね、その時が来たわけでもないのに自分から魂を放棄する人間は、この子以外にもたくさんいるんだよ。自分が傷付くことにだけ敏感な人間は多いからね。そんなふうに自分が傷付くことを避けることに熱心な人間の魂は、実際には大して傷付いていないもんだから、そりゃあ美しいのさ。だが、その魂には、美しいという価値しかない。とにかく脆弱だからね。だから、私は、そんな魂を手に入れた時には、その魂をこんなふうな水晶の卵の中に入れて――」 ふいに、彼女と瞬が立つ空間のちょうど真ん中に、ガラスのような薄い殻に包まれた透明な卵が現れる。 それは、長さが2センチほどの――ヒバリの卵と同じくらいの大きさをしていて、本物の卵なら卵黄がある場所に、蛍の発するそれのように淡い水色の小さな光が浮かんでいた。 それが、氷河の魂らしかった。 氷河の魂は、白い女神が言う通りに、とても儚げで、そして、美しかった。 「1年間、卵の中で、温めておくんだよ。そうすると、美しく脆弱な魂は、この卵の中で、強くて綺麗な魂の結晶に変化する。そうなったら、それはもう魂じゃなくて、私のコレクションの一つなんだけどもね」 その宝石のような卵を、女神は、白く細い指でつまんでみせた。 「私は、これから、この子の魂を閉じ込めた卵を、この子の魂が最も美しく強く生まれ変われる場所に隠しておく。この魂が、痛みも何も感じないただの堅い結晶になるまでに、おまえがこの魂の卵を探し出せたなら、これをこの子の中に返してやろう」 「ほんとに返してくれるね?」 瞬が念を押すように尋ねると、彼女は、その全身を覆った白いヴェールを、頷くように揺らしてみせた。 「いいかい、1年だよ。来年の春分が過ぎた最初の満月の夜までだ。それまでに、おまえが、この卵を見付けることができなかったら――これは永久に私のものだ」 「氷河の魂が最も美しく強くなれる場所……」 「そうだ。それを探し当ててごらん。見付けられるものならね」 白い女神が、水晶の卵を載せた手を手前に差し伸ばすと、次の瞬間、その手から、水晶の卵はふっとどこかに消え失せていた。 そして、彼女の手と姿も。 瞬の許に残ったのは、表情というものを持たない人形のような氷河の身体だけだった。 瞬には、魂を抜き取られた今の氷河は、死んでいるも同然に思われた。 その望み通りに――彼の求めた相手が自分だけを見ているというのに、氷河は少しも嬉しそうではなかった。 否、こんな状態でいることを、氷河が望んだはずがない。 氷河の、感情らしいものを映さない青灰色の瞳は、後悔しているように見えた。 泣いているように見えた。 「大丈夫だよ、氷河。僕が必ず、氷河の魂を取り戻してみせるから。みんなも力を貸してくれるよ。みんな、氷河の仲間なんだから」 瞬は、氷河と、そして自分自身を励ますように、笑顔を作って、氷河に確言した。 |