瞬は、いつも、氷河のすることの8割方が理解できなかった。 そもそも、氷河は、何をするにつけても説明不足すぎるのだ。 たとえば、数ヶ月前、季節は秋。仲秋の候。 瞬は、突然、氷河に水の入った木桶を手渡された。 その際、氷河が瞬に告げたのは、 「いい天気でよかったな」 という言葉のみ。 瞬には、訳がわからなかった。 2時間ほど、桶の中の水に映る自分の姿を眺めつつ、瞬は、その木桶の意味を考えに考えた。しかし、結局、瞬は、氷河が何を言おうとしたのか、その答えに辿り着くことはできなかったのである。 仕方がないので、瞬は、氷河の部屋まで赴いて、彼にその謎かけの意味を尋ねた。 氷河は、そんなこともわからないのかと言わんばかりの顔をして、瞬に言ったのである。 「この時期に、水を張った桶といったら、月を取るためのものに決まってるじゃないか」 「月を取る?」 「桶の水に月を映しせば、自分の手で月を持っていることになるだろう」 「はあ……」 「それで連想するのは、当然、一茶の句だ」 「一茶……って、小林?」 「『名月をとってくれろと泣く子かな』だ」 「あ、うん……その俳句は知ってるけど、でも、それが?」 重ねて尋ねた瞬に、氷河がますます渋い顔になる。 氷河は明らかに、更なる説明を求めてくる瞬に、不快を覚えていた。 「俺は、おまえを月見に誘ったんだ」 「あ、そうだったの?」 「月見と言えば、団子が必要だ」 「つきものだね」 「夜までに、買ってきておけ」 「…………」 つまり、氷河は、月見団子の準備をしておけと言うために、瞬に水を張った桶を渡してきたものらしい。 順を追って詳しく説明されれば、わからないでもない(ような気がする)。 しかし、それは、『風が吹けば桶屋が儲かる』以上の超論理、はっきり言って屁理屈の類である。 なぜ、氷河は、素直に、もっとシンプルに、 「今夜、月見をしよう。団子を買ってきておいてくれ」 と言えないのだろう? ──言えないはずがないのに、言おうとしないのだろう? 瞬には、そこのところが、どうにも理解できなかった。 しかも、氷河は、彼にしてみれば理路整然・説明不要のことを、自分にいちいち事細かに説明させた瞬を無風流の極みとでも思っているらしく、明確に不機嫌な顔をしている。 「日本人なら、それくらいすぐにわかってもよさそうなもんだがな。不粋だぞ、瞬」 「…………」 『水の入った木桶 = 団子を買ってこい』──この日本語を理解できる人間が、粋な人間だというのなら、粋な人間というのは常識的な人間ではない。 瞬は、そう思った。 |