「おい、氷河。おまえ、立ち合ってみろ」 道場の柱の陰に隠れるように立っている男の姿を認めて、土方が声をかける。 みとれていたわけでもないのだろうが、この珍妙な実技試験を自失したように視界に映していたその男は、土方の声にはっと我に返ったような顔になった。 「……疲れているようだ」 「もう、入隊は決めた。余興だ、余興!」 それまで無言でいた局長の近藤が、道場に豪快な声を響かせる。 こんな面白い見世物を途中でやめられてはたまらないといった響きが、彼の声には混じっていた。 局長のその断に、土方は微かに眉をひそめた。 薩摩・長州の間者が入隊志願者の中に入り込んでいないとも限らないのに、こんなにも軽々しく入隊を許可していいものか、と。 土方の言いたいことを察したのか、近藤は、ひとつ大きく咳払いをしてから言葉を続けた。 「三春藩の御徒組頭を勤める家の部屋住み次男坊だそうだ。名は瞬」 「苗字は?」 「適当につけてくれと言われた。主家を捨ててきたようだな。薩長の間者がそんな、身の上を疑われるようなことをわざわざ言うものか」 「三春藩? 三春藩ってどこにあるんですか?」 聞いたことのない藩名に、横から沖田が口を挟んでくる。 隊士の勉強不足に、近藤は思い切り渋い顔になった。 「会津の隣りにある、五万石程度の小藩だ。藩主は、秋田 新撰組は、京都守護職である会津藩主・松平 主な仕事は、市中の巡察、不逞浪士の取締りと探索、将軍や幕府要人の警護といったところだったが、不逞の輩たちの会合の情報が入ると、その場に乗り込んでいくことも多かった。 新撰組の名を一躍高めた池田屋騒動は、その最たるものである。 再度、目で近藤に命じられた氷河が、いかにも渋々といった その時には既に、彼の顔から表情らしい表情は消えてしまっていた。 武具もつけずに、若い入隊志願者の前に立つ。 氷河の無表情とは対照的に、新しい立ち合い者の姿を認めた瞬の顔色が変わる。 彼は、明らかに狼狽していた。 沖田たち見物人は、氷河の異人めいた顔立ちに驚いたのだろうと、瞬の狼狽をさほど気にとめなかったが。 「いくぞ」 氷河の抑揚のない声を合図に始まった二人の立ち合いは、それまでの立ち合いと様相を異にしていた。 それまで、一、二度の振りで勝負がついていた打ち合いが、いつまでも終わらない。 それは、いつまでも終わらなかった。 「綺麗な立ち合いだね。同じ流派だからかな。まるで互いの呼吸を知り尽くしてるみたいだ」 そう言いながら、氷河の剣術が瞬と同じ鏡心明智流だということに、沖田は、実は今の今まで気付いてなかった。 「本当に綺麗だ。いつまでも見ていたい」 半ばうっとりした目で、同じ流派の二人の身のこなしを見詰めながら、沖田が再度、今度は独り言のように言う。 沖田の操る天然理心流は、実戦での勝ち負けを重んじ、なりふり構わないところがある。 対して、鏡心明智流は、勝つための剣術ではなかった。 「新撰組は人切りだけが能と思われるのも癪だからな。武士たるもの、風雅を解さねば」 近藤は、瞬の入隊を決めたことに満足しているらしい。 それは確かに、風雅と言って差し支えないほどに美しい立ち合いだった。 「でも、あんな綺麗な子を入隊させたら、観柳斎先生が、また悪い癖を出しますよ」 沖田が口にした『観柳斎先生』というのは、新撰組隊士には学もなければならないという近藤の方針で、局内に迎え入れている文学師範の武田観柳斎のことである。 衆道の気があり、それで局内に騒ぎを起こしたこともある。 沖田は、学のあることを鼻にかけている武田が好きではなかった。 「おまえが守ってやればいい。自己申告を信じるなら、おまえとは同じ年頃だ。話も合うだろう」 「そりゃ、歳さんたちに比べたら同じ年頃ですけどね。でも、そんな役得、いいんですかぁ?」 土方の言葉を受けて、沖田は面白そうに笑った。 |