その夜は、長州を中心にした討幕の志士たちの会合があるという情報があり、新撰組の隊士たちの8割以上が、剣を携えて屯所を出ていっていた。 留守居を言いつかっていた瞬は、隊士たちの帰還を待ちわびていたのだが、先に屯所に戻ってきた使いの、成果も大きかったが負傷者も多数出たという大声での報告を聞きつけ、真っ青になって部屋を飛び出した。 その途端に、氷河に出会う。 相当激しい抵抗に合ったのだろう。 氷河の着物は、乾ききっていない血で汚れていた。 まだ人を切ったことのない瞬は、廊下で出会った氷河の血に染まった姿を見て、さっと青ざめてしまったのである。 「氷河、け……怪我をしたの?」 「返り血だ。ただの」 無感動に──むしろ、素っ気なく──言ってのける氷河に、瞬が顔を伏せる。 氷河の だが、瞬には、それがどうしても信じられなかったのだ。 「氷河が……あの優しかった氷河が、こんな……」 相手が誰であれ、人の命を奪って無感動でいられる氷河が、瞬には理解できなかった。 「氷河は……今、幸せなの? 氷河は、思い出すのが辛いから忘れてしまったの? ここにいることが、こんなふうに人の命を奪うことが、氷河の幸せなの? こんなこと続けていたら、氷河だって、いつ殺されてしまうかわからない。それなのに……!」 たとえ新米でも、新撰組の隊士がそんな言葉を口にすることは許されない。 それは瞬にもわかっていた。 だが、瞬は、新撰組の隊士である前に、そして、武士である前に、ひとりの人間だったのだ。 「忘れたの? 本当に何もかも……」 涙を見せまいとして俯く瞬に、氷河が、その手を伸ばしかける。 だが、伸ばしかけた手に、まだ血がこびりついているような気がして、彼はそうすることを思いとどまった。 瞬が、そんな氷河の胸に飛び込んでくる。 そして、瞬は、あの夜と同じように、あの夜よりずっと強く、氷河の唇に自分のそれを押しつけた。 「それでもいい。ここまで追いかけてきたの。何もかも捨ててきたの。せめて、一度でいいから抱きしめて……!」 こんな日々の最後に氷河を待っているものは、死でしかない。 瞬は、それが何よりも恐かった。 「そうしてくれたら、もう我儘は言わないから。黙って見てる。見てるだけにするから……!」 「しゅ……」 自分の胸の中で泣きじゃくる瞬の涙に、胸を刺されるような痛みを覚えて、氷河は苦しげに顔を歪めた。 すべてを忘れ、すべてを捨てたつもりで、これまでろくに口もきかずにきた。 いつかは瞬も諦めてくれると思っていた。 だが、瞬は、三春で二人が過ごしてきた日々を、この薄情な男が思い出さなくても、彼から離れるつもりはないと言う。 それが、氷河の限界だった。 |