the game of love

〜 みずきさんに捧ぐ 〜







古代オリンピック──オリンピア祭──は、紀元前776年に第1回大会が行なわれ、紀元392年にローマ皇帝テオドシウス1世によって廃止されるまでの1169年間、4年間隔で一度も途切れることなく開催された。
競技に出場・観戦できるのはギリシャ人の男性のみ。
勝利者は神に祝福された者として称えられた。

1スタディオン(約192メートル)を走るスタディオン走1種目で始まったその祭りは、回を重ねるごとに規模を増し、競技種目数が増えていく。
2タディオンを走るディアロウス競走、10スタディオンを走るドリコス競走、レスリング、ボクシング、戦車競争、そして、短距離競走・幅跳び・円盤投げ・やり投げ・レスリングから成る五種競技・ペンタスロン、どちらかが敗北を認めない限りは勝負が決することのない格闘技パンクラティオン等々。

それらの競技の中で共通して求められたものは、均整のとれた力強く若々しい肉体だった。
カロカガティア── 美と善の合一 ──を具現した理想の肉体に、ギリシャの人々は惜しみない称賛を送ったのである。

それは、本来は、全能の神ゼウスを始めとするギリシャの神々を崇めるための、神域における体育や芸術の競技祭だった。
故に、オリンピア祭の優勝者が得られるものは、オリーブで作られた冠と名誉だけだったのである。


当時、ギリシャは、アテネ、スパルタ、コリント、テーベ、アルゴス等、多数の都市国家ポリスによって形成されていた。
神を讃え、神に捧げるための競技は、やがて各ポリスの威信をかけた勝負の場になっていき、当然のこととして、選ばれた競技者たちは、それぞれのポリスの名誉を担って競技会に参加することになる。
競技会で得られるものは名誉だけとはいえ、競技に優勝して帰国すれば、彼には、終身の年金が約束され、特に華々しい活躍をした者の記念碑等が建てられることも珍しくなかった。

エリス地方で開催されるオリンピア祭、コリント地方のイストミア祭、ネメア地方のネメア祭、デルフォイ地方のピュティア祭。
これらの4大祭典に参加し優勝することは、大変な名誉であるだけでなく、一生食うに困らない待遇と特権を手に入れることでもあったのである。







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