「パソコンから抜かれていた? ロックせずに、この部屋を出たのか」
「閉架書庫から出してもらった資料を受け取るだけだったから、2、3分で戻れると思ったんだよ。実際、それくらいしか席を外してなかったし……」
「他の教員がおまえの無用心に気付いて、保管してくれた可能性は?」
「今日、このPC室に予約を入れてたのは僕だけだったよ。予約無しで来た先生がいたんだったとしても、僕が席を外してたのは、ほんの数分だけだったから、どこかで擦れ違うはずだもの」

氷河に事態の説明をしているうちに少しずつ、瞬は状況の整理ができてきたらしい。
瞬は、覚束ない様子でふらふらと、掛けていた椅子から立ちあがった。
「校長先生に……報告しなきゃ。まだ校内にいらっしゃるかな……」

こういう場合に瞬にできること──しなければならないことは、まず学内での責任者への報告ということになる。
その報告は、校長から教育委員会に伝わり、へたをすれば、全国的なニュースにもなりかねない。
盗難にあったのだとしても──だとしたら、なおさら──学校側の情報管理の杜撰さを責められるのは必至である。

そんな事件の渦中に瞬を投げ入れるわけにはいかない。
氷河は、PC室を出ようとしていた瞬の腕を掴み、彼を引きとめた。
「ファイルにパスワード設定はしてあったのか?」
「うん」
「そのガードを破らない限り、盗んだ相手がデータを読めるとは限らないな……。パスワードは単純なやつか?」

問われた瞬が、首を横に振る。
「よほどのハッキング技術を持ってる人じゃないと読めないと思う。3回ミス入力したらロックがかかるようにしてあるし、パスワードは30文字もある。ソフトに付随のセキュリティシステムとは別に、僕があのファイル用に自分で設定したガードだから、氷河レベルでないと、ガードを破るのは無理だと思う……けど……」

「俺レベルの奴が、そうそういるはずもない。なら、しばらく、校長への報告は待て」
「でも……」
「いいから、俺の言う通りにしろ」
それが正しい対処方法か否かということは、氷河にはどうでもいいことだった。
氷河はとにかく、瞬が傷付くことになるような事態を避けたかったのである。

「この図書館への出入館は、IDカードで管理されてるんだ。容疑者は絞れる。ガードを破られる前に取り返せば、問題はない」
「氷河……まさか、生徒を疑ってるの」
「他にどんな可能性がある」
責めるような口調の瞬の言葉を、氷河はあっさり肯定してみせた。

「氷河……」
瞬は、その瞳に、まるで自分自身が盗みの疑いをかけられでもしたような、暗い色を浮かびあがらせた。
しかし、氷河としては、それこそ瞬のために、綺麗事は言っていられなかったのだ。

生徒たちの通知表の内容など、正規のパスワードを付与されている教員たちは、盗まなくても見ることができるのである。
瞬が、暫定的につけた評価やコメントを見たい教員がいたとしても、希望されれば、瞬はそれを学内LANにアップロードするだけだろう。

よほど特殊な事情があるのでない限り、犯人は生徒という可能性しかなかった。
もしかしたら、その生徒は、瞬のCD−ROMに収められているデータの内容すら知らずに持ち去ったという可能性もないではない。

瞬は、生徒を信じていたいのだろう。
元はといえば、自分の無用心が招いたことで、他人を──それも生徒を──疑うことに、瞬は罪悪感を覚えているのだ。
だが、氷河は、ここは鬼になるしかなかった。

「べそをかくな、みっともない。生徒に見られたらどうする。おまえは教師なんだぞ」
「でも、氷河……」
「だから、学校では城戸先生と呼べと言っただろう……!」

この状況はいつもとまるで逆だった。
いつもなら、職場にプライベートを持ち込もうとして、瞬にたしなめられるのは氷河の方だったのだ。






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