「本当に……橋本君が盗ったの」
氷河のやり方がどうあれ、事実は事実、これが現実である。
瞬は、犯人の向かい側にある椅子に腰をおろし、視線を彼と同じ高さにした。
Aクラス11番の生徒が、こくりと頷く。

「どうして……」
瞬にはわからなかったのである。
家庭の状況に穏やかならざるものがあるにせよ、彼はこれまでいつも、いわゆる優等生というものだった。
成績だけのことではなく、生活態度でも、である。

「成績を気にしてのことじゃないでしょう? 中間考査、僕の国語表現は満点だった」
国語で満点を取ることは、単純に褒めていいことではないのだが──それは想像力の貧困を示している場合もあるので──しかし、少なくともそれは、授業を理解できているということではある。
教師はともかく、生徒を不安にするようなことではない。

そこに、氷河が、思いがけないことを言ってくる。
「数学は下がってる。めちゃくちゃだ。赤点すれすれ。わざとだな」
「え?」
「こいつは、俺が嫌いらしい」

そんなことでわざと成績を下げる生徒がいるはずがないと、瞬が反駁する前に、瞬の前にいる生徒は氷河の言葉を肯定してみせた。
「あんたは、瞬先生によくないことをする」

Aクラス11番のその言葉に、氷河はこめかみを引きつらせた。
『何が“瞬先生”だ!』と毒づく言葉を、氷河が無理に喉の奥に押しやったのが、瞬にはわかった。

「よくないこと……って」
「1週間前に──こいつは、瞬先生に、保健室で変なことしようとしてた」
「え……」
一瞬、何のことを言われているのか解しかねた瞬は、1週間前に保健室であったことを思い出そうとし、思い出して、さっと青ざめた。

1週間前、問題の場所で、瞬は、
『おまえ、せっかく学校に勤めてるのに、保健室でこれをせずにどこでするんだ』
と、とんでもない理屈を持ち出してきた氷河に抱きすくめられ、危うくベッドに押し倒されそうになったのである。
その場は何とか切り抜けることができたのだが、どうやらAクラス11番の生徒は、その場面を目撃してしまったものらしかった。

「あ……あの……あれは──」
頬を真っ赤に染めた瞬にちらりと視線を走らせてから、通知表窃盗犯は、再び顔を伏せた。
「拾った振りして、返すつもりだったんだ。瞬先生は、俺が盗んだなんて疑ったりしないだろうから、きっと、喜んでもらえると思った……」
「浅はかにも程がある」

自分が元凶だということを知らされたというのに、まるで反省する色を見せずに生徒をなじる氷河を、瞬は睨みつけた。
が、今は、氷河への叱責より、それで氷河を嫌悪することになってしまった生徒への対応の方が優先事項である。






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