146500カウント記念小説


146500カウントをGETしてくださったのは、みずきさん。


お題は、

『学園もので、通信簿と氷瞬』





相対評定から絶対評定へ、2004年度から、小中学校の通知表が新しくなります
みずきさん、146000カウントキリリクに続き、タイムリーなお題をどうもありがとうございました〜。

とはいえ。
学習指導要領に縁のない生活に入って幾星霜。
今回も、お題をいただくまで、私はこの事実を全く知りませんでした。
小中学生のお子さんをお持ちのお母様方には、大事件ですよね、これ。
評価する先生方も、苦労しているような気がします。


で、まあ、小中学校の通信簿に関しては、↑ この変更のニュースのおかげで、現在、どういう評定をしているのかわかったんですが、問題は高校の通信簿。
私の出た高校では、10段階評価で、中間考査と期末考査の点数表示つき、だったのですが、あれも地域や時代で違うようですし、今はどんななのかな〜? と思って、色々検索してみたわけなんですが

──自分の通信簿をサイトに載せている高校生がいました……。
ほ……本物の高校生なのかどうかは確かめようもありませんけども、すごくありそうな評定の通信簿。
(ちなみに、12345の5段階評定)

なんか、それ以上突っ込んで調べるのが恐くなったので、今回の話の通信簿は、『1、2、3、4、5の5段階評定』の通信簿でいくことにいたしました。
よろしくお願いいたします。


で、お題は、『学園もの』だったわけですが。
あー……。
確かに学園ものには違いないと思うのですが、私はまた間違った方向にいってしまったでしょうか;
でも、学園ものです!
間違いなく、学園ものです!(すみません〜;)


でも、その学園ものも、学校というところを卒業してから長い時間が経つと、単純に自分の生徒だった時の記憶だけでは書けなくなりますね。
そもそも、私の頃とは、必履修科目が全然違う
『現国』って、今はないんですね。『漢文』もないみたい。
『情報』って何。『オーラル・コミュニケーション』で、アヤシイ連想をしてしまった私は危険ですか?

はあ……。私の蛍雪時代は、本当に遠い遠い日の思い出になってしまいました。
(あ、今回のタイトルは、もちろんこちらの懐かしい雑誌から、です)


ところで、えーと。
私の母は小学校の教諭でした。僻地手当てがつくようなど田舎の。
父も、私が物心ついた時にはやめていましたが、同じく。
私は、母の教え子のテストの採点やら、通信簿のハンコ押しやらを、よく手伝わされたものです。

昨今の教育現場がどんなふうなのかは存じあげませんが、昔のど田舎の小さな小学校の教師は、生徒の家庭事情に精通しておりました。
私が何か生意気を言うと、母は、家庭環境に恵まれていない生徒の話を引き合いに出して、色々と説教を垂れ始めるのが常でした(あれって、もしかすると守秘義務に反することだったのかな;)

世間で風疹が流行った時なんか、私や妹も学校を休んで寝込んでいるというのに、母は実の娘たちを放っぽって、教え子たちの家に看病に出掛けてた(親御さんがついていてあげられないお家の子とか、そもそも親御さんがいない子のとことか、ね)。
今は、もしかすると、そういうのは許されないのかもしれませんが。

「ほったらかしにしておいたのに、よく育ったね」
が、娘たちが成人してからの母の口癖です。
もっとも、そういうのが当たり前だと思っていたので、実は私には、母に放っておかれたという意識はなかったりするんですけども。

今の教育現場は──先生も生徒もドライになっていて、あまりプライベートには入り込まないようになってるのかもしれないですが、昔の先生方はみんな、親身でしたね。

ヤな先生もいることはいましたけど、田舎の先生同士は小中高の区別なく繋がっておりまして、自分のガッコの先生への不満とかを口にすると、母から、『○○先生は、×○△で苦労しててね〜』なーんて家庭の事情を教えられるもんだから、今いち嫌いぬくことができなくなるの。
先生方って、なぜだか結束が固かったです(私の田舎ではそうでした)。

あ、でも、一度だけ、郡下の(『郡』というところが、既に何とゆーか;)研究会か何かで、『私は子供が嫌いです』と公言した新任の先生がいて、その先生が町中の先生方に総スカンを食うという、前代未聞の事件があったなぁ……。
人の悪口なんか言ったことのないウチの母ですら、憤慨してその先生を批判しまくって、あの時は私もびっくりしました;
あの時には、
『そうか〜、教師ってのは、子供を好きな人たちがなるものなんだな〜』
と、当然といえば当然のことを、しみじみ思い知りましたです。

んー、でも、私は、教師の苦労話ばかり見聞きしてきたので、ちょっと教師サイドに立ちすぎなのかもしれません。
よくない先生も、現実には、(残念なことながら)多いのだとは思います。


ちなみに、今回のお題の『通信簿』。
通信簿は、評定をつけるとこなんかは実は全然楽。時間もかかりません(少なくとも小学生の場合は)。
問題なのは、通信欄に書く文章です。
ウチの母は、我が母ながら文才がなかったので、ほんとに苦労しておりました。

参考までに(?)我が家における通信簿作成過程 ↓

(1) 母が、生徒の生活態度・改善希望点等を父に説明
(2) 父が文章の草案を出す
(3) (2)に難しい語彙があった場合、母が多少アレンジ
(4) 母が通信文の草案を娘たちに読んで聞かせて、感想を求める(『こういう書き方で、やる気でる?』だの、『こういう文章だと、言い方きつい?』だのってね)
(5) 問題がないようなら、清書

通信簿作成の時期には、我が家は大騒ぎでした。迫る締め切りに、寝る間も惜しんで粉骨砕身する様は、締め切り直前の同人もの書き顔負けのすさまじさがありました(大袈裟;)。
(あれって、でも、していいことだったんだろーか……?)(既に時効ですけども)


ま、それはともかく、氷河と瞬ちゃんです。
いつも思うんですけど、この二人の組み合わせって、子育てにすごく適してるような気がします。
優しく許す寛容タイプ(瞬ちゃんね)と、自分が子供なので、子供が嫌いで(と自分では思ってる)、子供を客観的に見てしまうタイプ(氷河)。

ウチの母なんかは、『子供は褒めて育てろ』が持論でしたし、それで結構うまくいってたようでしたけど、社会に出たら、そういう人ばっかりじゃないですからね。
そういう人ばっかりじゃないということを、経験として知っておくためにも、冷めた目で見て接する人間も、子供には必要なんじゃないかと思う。
つまり、ヤな先生も、ある意味 必要悪。
親や教師である限りは、もちろん根底に愛情があることを、子供に感じさせてあげなきゃいけないとは思いますが。


はー……。
それにしても通信簿。
もらわなくなってから、○○年。
今年のお盆に実家に帰ったら、昔の通信簿を捜してみようと思いました。





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