「ヘレンは、パリスが愚かだから愛したんだって」 ヒョウガの愛撫は、その夜も荒々しかった。 シュンは、それには何も言わず、シュンの中で嵐を静めた後のヒョウガに、その日ヘレンが語った言葉を告げた。 「僕、考えたこともなかった。女の人の──そういう気持ち。女たちは、城や家の奥深くの身の危険のないところで、安全に綺麗に安穏と暮らしているのだとばかり思っていたから……」 「同情はしない。本気で恋に落ちたのだとしても、戦を起こさないやり方はいくらでもあったはずだ。俺たちはそうした。戦が起きて、トロイが落ちたら、トロイの女たちは、敵兵の慰みものか奴隷にされる。愚かな男と愚かな女の愚かな行動のせいで、だ」 「…………」 ヒョウガの口調には、その言葉通りに、ヘレンへの同情の色は全く混じっていなかった。 ヒョウガの言うこともわかるだけに、ヒョウガの主張の方が正論であるだけに、シュンはそれ以上へレンを弁護することはできなかった。 「助けてあげられないの……」 「どっちをだ」 それがヘレンのことなのか、敗軍の女たちのことなのかは、尋ねたシュンにもわかっていなかった。 『どちらを』と問われれば、『両方を』と答えるしかない。 「始まる前なら打つ手もあったが……戦はもう始まってしまった。今からヘレンを送り返しても、ギリシャ軍は帰ることはあるまい」 ヒョウガは、シュンが何を考えてヘレンのところに行ったのかを見透かしているようだった。 回避できない戦をやめさせるために。 それが、自分の恋人のためでもあると信じて──。 だが、いずれにしても、もはや戦の回避は不可能だった。 「これから悲劇が始まるんだ。名誉名声を求めてきた馬鹿者たちは、それを手に入れるために戦い、最期には、ギリシャに残してきた妻や子や父母の顔を思い浮かべて死んでいくことになるだろう。売られた喧嘩を避けるための努力もせず、受けて立ったトロイ側の者たちも、結局は同じ末路を辿ることになる。そして、馬鹿者共はどちらかが滅びるまで戦い続け、生き延びた者たちもやがては滅びる。戦というのは、そういうものだろう」 知っている。 シュン自身は、そこまでむごたらしい戦の場面に居合わせたことはなかったが、それはシュンには容易に想像できるものだった。 シュンの瞳から一粒、涙が零れ落ちた。 「戦はなくならないの」 「いつかはなくなるだろう。人間が皆滅びてしまえば」 戦を空しいものだと理解し、戦う者たちを愚かと断じるヒョウガでさえ、闘いの誘惑には抗し難いのだ。 闘いを願う者たちが全て消えてしまわない限り、それはこの世界からなくならないものなのかもしれなかった。 「本当に、俺たちはそろそろここを出た方がいいな」 涙の止まらないシュンを抱きしめて、ヒョウガはそう呟いた。 |