「英雄って、どういう人間がなるものか知ってる?」
長い沈黙のあとに、シュンがやっと口を開く。

突然そんなことを尋ねられたことに、少々の戸惑いを覚えつつも、ヒョウガは答えた。
「鍛え抜いた身体と技を持ち、反射神経に優れた──そう、そして、運のいい奴だな」

「想像力のない人たちだよ」
ヒョウガの言葉を遮るように、シュンがきっぱりと言う。
その断固とした口調に、ヒョウガは息を飲んだ。

「人間の悲しみや苦しみを想像することもできない人たちが、英雄になるんだ。自分が死ぬことで、自分が敵を倒すことで、どれだけの人が悲しみ苦しむかを考えられない愚かな人たちが、多くの敵を求め、多くの敵を倒し、そうして、人々に英雄と讃えられるの。ヒョウガの嫌いな“馬鹿”がね!」

「…………」
いつになく厳しい口調のシュンに、ヒョウガは気圧けおされていた。
そしてヒョウガは、なぜか、レウカスの白い浜辺で、初めてシュンの瞳を真正面から見た瞬間のことを思い出した。

ヒョウガはシュンに、戦いをする人が嫌いだと言われて、剣を捨てた。
人の死を見るのが辛いと言われ、弓を捨てた。
いつまでも生きていてくれと言われて、野心を捨てた。
争いの種になりたくないと言われ、国を捨てる決意をした。

ヒョウガが全てを捨てた時、シュンは初めてヒョウガを受け入れてくれたのだ。
シュンを初めてその腕に抱いた時、ヒョウガの中には後悔も喪失感もなく、むしろ彼は、世界中の幸福と名誉を手に入れたような歓喜を覚えたのである。

「でも……ヒョウガのしたいようにしていいんだよ……」
そのシュンが、今は瞳に涙を浮かべて、ヒョウガを見詰めている。
「それでも、僕は、ヒョウガを愛することをやめられないから……。きっと、自業自得なんだ。僕は、ヒョウガに全てを捨てさせたんだから」

「シュン……」
シュンの涙は、エーゲ海の水を全て集めたさかずきより重い。
初めてシュンをこの腕に抱いた時の歓喜を、なぜ忘れていられたのだろうと、ヒョウガは自分自身を訝った。

この瞳を手に入れたくて、この瞳に見詰められていたくて、そのためになら他の何も必要ではないと思い、感じて、ヒョウガは闘いを捨てたのだ。
争いを嫌う、この健気な生き物の瞳を涙で濡らすことなど、ヒョウガには到底できることではなかった。

自分にとって最も価値のあるものが何なのか──。
それを思い出したヒョウガはもう、想像力のない愚か者ではいられなかった。

「俺は……パリスのように、愚かさを愛されたくはない。俺は、そんな悲しそうな顔をしたおまえに愛されたくはない。俺は、格好がよくて、あっちの方も強くて、いつもおまえを満足させてやれて、選ぶものを間違えない利口な男として、おまえに愛されたいんだ。俺は──」

どうして、そんな大切なことを忘れていられたのか。
胸中の霧が晴れたヒョウガは、今となっては、それが不思議でならなかった。
「俺は、笑顔のおまえに愛されたい」

闘いの勝利、その結果 得られる名声と栄誉。
それらのものが、だが、何になるというのだろう。
そんなものは、シュンのためになら容易に捨てられるものだった。






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