月の明るい夜でした。
とても静かな夜でした。
夏には冷たく感じられる月のほの青い光も、白い雪と氷が大地を覆っている季節には、とても暖かいものに感じられます。
風の音も、雪の重みに耐えかねた木が枝をしならす音も、すべては降り積もった雪の中に吸い込まれていきます。

そんなふうに白くて暖かで静かな雪景色の中を、シュンは、羊たちにわかるように 風上から家畜小屋に近付いていきました。

オオカミの匂いに気付いた羊たちが、突然大騒ぎを始めます。
彼等の恐怖心を煽るように、シュンは小屋の厚い木の扉に爪を立てて、低い唸り声をあげました。
飢えて力のないシュンの声は、むしろ吹雪の最後の小さな悲鳴のように か細いものでしたが、それでもそれは羊たちを怯えさせるには十分な力を持っていました。

シュンよりもはるかに元気な羊たちの騒ぎを聞きつけたあの青年が、猟銃を持って、彼の家から出てきます。
ログハウスの開かれた扉の前、屋内から漏れる灯りの前に、銃を手にした彼の姿を見い出した時、シュンは、これでやっと自分は辛くて残酷な生から逃れられるのだと思いました。
抑え難い歓喜の念にかられました。

彼の手にかかって死ぬという、シュンの夢がついに叶うのです。
シュンは、少しだけ気力を取り戻しました。
そして、どうせ死ぬのなら、彼の家畜に被害が出ないように家畜小屋から離れた方がいいに違いないと考えたシュンは、森に向かって駆け出しました。
そんなシュンを──醜く貧相な灰色のオオカミを──彼が追ってきます。

飢えて力の出ない足では、いつものように素早く走ることはできませんでしたが、今のシュンには、それも好都合でした。

殺されるために追われているのに、シュンはとても幸せでした。
彼に殺されることができたなら、シュンは醜く残酷な身体から解放され、心だけの存在になって、彼に寄り添うこともできるでしょう。

生きている限り叶わない夢を叶えるために、シュンは、白い雪の上を注意深く駆け続けました。
あまりゆっくりだと不審がられるかもしれませんから、ほどよいスピードを保って。
けれど、彼が逃げるオオカミを見失わないように、わざと雪の上に、はっきりした足跡を残して。

シュンは、月光が照らす白い北の森を、死という夢に向かって走り続けたのです。






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