「とにかく、あの件は、瞬の耳に入らないようにしろ。搦め手から来られたのでは、敵わない」 「はい、ボ……」 集団の中心にいた男の指示に頷きかけた青年が、その返答の言葉を途切らせる。 ホールにあるソファにライバル会社の社長の姿を見付けて、彼は慌てて口にしようとしていた言葉を喉の奥に押しやったらしい。 後藤は後藤で、ライバル社のボスらしき男が、自社の社長の名を口にしていたような気がして、やはり無言でその場に突っ立つことになった。 沈黙を間に置いて対峙し合う、二つの集団。 背広姿の集団のあとから、ホールに出てきたカナダ企業のセクレタリーらしい女性が、その不気味な沈黙を破ってくれた。 「アネモス・プランニングさん、15分後にプレゼンテーション開始でよろしいでしょうか」 尋ねられたアネモス・プランニング社の社長は、横目でちらりとライバル社のボスの顔を窺い見てから、無言で頷いた。 「いい感触でしたね、ボス。やる気満々の新社長も身を乗り出して聞き入ってましたし」 おそらくはライバル社の面々に聞こえるようにと、わざと遠慮のない音量でそう言ったのは、先程後藤たちの前で声を失ったキオーン・プランニング社のメンバーだった。 「ああ、そうだな」 集団の中心にいる男が、自分の部下に生返事を返す。 アネモス・プランニングのライバル会社のボスは、どこから何をどう見ても、日本人ではなかった。 黒に近いグレイのスーツの肩に、少々長めの金髪がかかっている。 彼は、エレベーターホールに向かおうとする部下たちから離れ、彼のライバル社のボスの許に、得体の知れない笑みを浮かべて近寄ってきた。 「久し振りだな、瞬。相変わらず、中学生のような顔をしている」 「その中学生に、Sコーポレイトのプロジェクトで遅れをとったのは、どこのどなたでしたか」 掛けていたソファからゆっくりと立ち上がり、更に顔を上向かせて、後藤のボスが、敵の大将ににこやかな嫌みで応じる。 後藤の目には、小柄な身体を淡い色のスーツに包んだ自分のボスが、魔王に魅入られた子供のように見えた。 「あの取り引きは年商10億がせいぜい。ギャラもあまり期待できそうになかったんでな。ウチはあまり気を入れてなかったんだ」 「年商10億が100社で1000億です。小さな取り引きのプランニングで手を抜く悪い癖は治ってないようですね」 「おまえが出てくるとは聞いていなかったんだ。おまえさえしゃしゃりでてこなかったら、手抜きのあれで、十分いけるはずだった」 「情報戦で負けていては話にならない」 しかし、この 「コンペ締め切り当日に駆け込みでプランを持ってくるような礼儀知らずに、そんなことは言われたくない」 「僕は、あなたよりは礼儀は心得ているつもりです。こんなところで突っかかってくるなんて、大人気ない」 「礼儀知らずは生まれつきだ」 「あなたがウチの社員だったらよかった。そうしたら、僕が社会人としての礼儀を叩き込んであげられるのに」 「おまえこそ、この仕事を落として、自分の能力の限界を知るがいい。ウチの秘書室にポストを準備しておく。可愛い顔をしたセクレタリーが一人欲しいと思っていたところだったんだ」 「あなたの秘書なんていう 互いに譲る気配を見せないボス同士の対決に、その場に居合わせた両社の社員たちが緊張しまくっている中、事情を知らない新人の後藤だけは、自分のボスの言葉が嫌味なのか皮肉なのかを理解するために、必死に『役不足』の正しい意味を思い出そうとしていた。 |