良い主君に恵まれたと思っていた。
自分を幸運な男だとも思っていた。
氷河は、自分を不運・不幸と感じたことは、これまで一度もなかった。
生まれは人に誇れるようなものではなかったが、才と機会に恵まれ、順風に帆を揚げて走ってきた人生の先に、よもや こんな落とし穴が待っていようとは。

胸中で大きく膨らんでくる怒りを、誰に対して、何に対してぶつければいいのかが、氷河にはわからなかった。
そして、その時、氷河の前にいたのは瞬だけだった。

「そこまで、お家が大事か」
「…………」
「惚れた相手でもない者に、主命で身体を許すほど」
それは、守るべき家を持たない氷河には永遠に理解できない考え方なのかもしれなかった。
それでも、氷河は、瞬にそんな理不尽を甘受してほしくなかったのである。

「瞬っ!」
瞬は、氷河の面詰に何も答えなかった。
答えを見付けられずにいるのではなく、最初から答えるつもりがないように、氷河には見てとれた。
瞬の沈黙が、『“家”を持たない者にはわからない』という答えに思われ、言葉で答えないことで瞬は“家”を持たない男を突き放しているのだと感じ、そうと感じた途端に、氷河は我を失った。

“家”のために“私”を滅することすら厭わないと無言で主張する瞬を、その場に押し倒して、  上衣の襟を鷲掴みにし、胸元を露わにする。
驚き怯えているのに、大きく見開いた瞳で氷河を見詰めるばかりで、決して抗おうとしない瞬の様子が、氷河を更に苛立たせた。
氷河はそのまま、噛みつくように、瞬の胸に唇を押し当てていった。

──その道の作法など見聞せずとも、どうすれば自分の欲を瞬に受け止めさせることができるのかを、氷河は知っていた。
そんなことは、これまでに幾度も幾度も、夢の中で経験してきたことだった。






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