「何にしても、俺たちは今それどころじゃねぇんだよ。どうすれば島に帰れるか、それを話し合ってたところに、おめぇらが降ってきて、俺たちの相談の邪魔をしてくれたんだ」 おそらく、その話し合いは、この船と同じように10日間、堂々巡りを続けていたに違いない。 氷河は、彼等の有意義な話し合いの腰を折った非礼を詫びる気にもならなかった。 「いっそ、殺しちまったらどうです。数日で帰島するつもりだったから、俺たちゃ、水も食料も4、5日分しか持たずに出港してきたんだ。それが、もう10日。干し肉はもう残ってねぇし、水もそろそろ尽きてきた。明日からは靴や皮袋を食わなきゃやっていけなくなる」 そこに、いかにも海賊らしい恐ろしい提案をしてきたのは、ひどく小柄で痩せぎすな体格をした年齢不詳の男だった。 幸い、その提案は船長に却下されたが。 「俺は無益な殺生はしねぇ主義なんだよ。知ってるだろ、甲板長」 「有益な殺生かもしれねぇじゃないですか。水と食料が限られてるんだ。このあたりの海にいるのは、俺たちにゃ捕まえられない人喰いザメだけ。食い扶持は少ねぇ方がいい」 今この船の上では、帰るべき町が消えたことより水と食料の確保の方が、より重要な問題らしい。 というより、帰るべき港を見失ったせいで、それらのものが不足しているらしい。 凶悪な(はずの)海賊とはいえ普通の人間に、アテナの聖闘士を殺すことができるとは思えなかったのが、氷河とて、こんなところで無駄な争いはしたくなかった。 「あー……。じゃ、俺からの手土産だ」 どうせここはSFの世界なのだと開き直り、氷河は彼のSF技で、甲板上に大きな冷蔵庫大の氷の塊りを出現させた。 「えっと、じゃあ僕も」 負けじと瞬が、ネビュラェーンで、人喰いザメを海から釣り上げてみせる。 「足りなくなったら、いつでも追加します」 いかに自分たちが有益な存在であるかを、瞬が笑顔で主張すると、その場にいた船の乗組員全員が、即座に瞬の主張を受け入れ、歓迎の意を表した。 海賊の世界は、実力がモノを言う世界である。 まして、水と食料を確保できる人材は、飢えた船の上では神にも等しい存在だった──らしい。 「人質はやめ。客人対応だ。ジム! この二人の面倒を見てやれ」 「はい!」 船長が暗褐色の瞳を輝かせて指示を下すと、瞬よりも一回り小柄な少年がひとり、海賊たちの輪の中央に飛び込んできた。 飢えの心配がなくなると、人は寛容になる。 実に機嫌良さそうな顔になって、船長は、今更ながらなことを瞬たちに問うてきた。 「あ、そういや、おめぇら、名前は?」 「僕は瞬で、彼は氷河です」 「シュンにヒョーガ? 変な名前だな。どこの国の人間だ」 「ジパング……とでも言えば通じるのか?」 「ジパング?」 どうやら、その国名は、イギリス国籍の海賊たちにも通じたらしい。 船長が、目を丸くして反問してきた。 「ジパングって、あの黄金の国のことか?」 「そう言われていたらしいな」 17世紀後半の日本は、鎖国中とは言え、オランダとの交易は細々と続けている。 『黄金の国』などという呼び名が、13世紀ヴェネツィアのホラ吹きマルコ・ポーロが流布したデマだということは、既にヨーロッパ中に知れているはずだった。 が、カリブ海は、時間の進み方が、ヨーロッパに比べて数百年遅いらしい。 「おい、嘘をつくな! ほんとにジパングから来たのなら、金を出してみせろよ!」 先ほど、氷河と瞬の殺害を提案した痩せぎすな男が、また、氷河に突っかかってくる。 帰るべき場所を見失って、彼は相当苛立っているらしい。 水と食料の不安が解消されたことに我を忘れてしまわないあたり、案外、彼は、この船上で最も現状把握能力に優れた男なのかもしれない。 「嘘じゃねぇだろ」 そんな彼を制したのは、今度も船長だった。 「こいつらの唇は、嘘をついたことのねぇ人間の唇みてぇにまっすぐだ。俺も昔はこんなふうだった。甲板長、おめぇもな、10年前はこうだったぜ」 船長にそうなだめられた甲板長が、曲がった唇を引き結ぶ。 拗ねた子供のように、それきり彼は口をつぐんだ。 甲板長にそう言った船長の唇も、僅かに歪んでいる。 彼等の唇は、他人に弱みを握られないために虚勢を張り、強がりという嘘をつき続けてきた唇なのかもしれない。 二人のやりとりに、瞬はひどく切ない気分になった。 |