船の上は実力が物を言う世界である。 得物を襲う際の果敢や残虐、荒れた海を乗り切るための操舵・操帆術、一口に“実力”と言っても、それは様々であるが、行く先も定かではなく上陸の見込みもない船の上では、水と食料を手に入れる力を持った人間が──つまりは、氷河と瞬が──いちばんの実力者だった。 氷河と瞬は船長に次ぐほどの厚遇を受け(厚遇と言っても、失敗続きの海賊船の中では たかが知れていたが)、奇跡に近い二人のSF技は、乗組員たちの驚嘆と尊敬を集めていた。 17世紀の海賊たちとの暮らしは、思った以上に楽しいものだった。 獲物に出合えない海賊船の上で、瞬は、あの甲板長に操帆を教えてもらったり、他の水夫たちとマストに登る競争をしたりして、時間を過ごした。 海水での水浴びにも慣れたし、ジムの洗濯を手伝って、干すそばから乾いていく洗濯物を見ているのも楽しかった。 もともと『今日は生きているが、明日も生きているとは限らない』が信条の海賊たちは、水と食料の欠乏という差し迫っていた心配事がなくなると、その楽天的気質の本領を発揮しだす。 海賊たちは、柄は恐ろしく悪かったし、瞬は幾度も下がかったジョークに赤面させられたが、彼等は皆、基本的に気の好い善良な男たちだった。 それはおそらく、海賊として勇名を馳せるには向かない性向ではあったのだろうけれども。 ポート・ロイヤルで最も有名な海賊というと、海上だけでなく陸上での残虐行為でも名を馳せたヘンリー・モーガンがいる。 彼は、海賊としての辣腕をふるった後、英国王室に多額の賄賂を贈りナイトの称号を受け、一転、ジャマイカ副総督として海賊鎮圧に乗り出した。 時代の流れと度重なる鎮圧で、世界に悪名を轟かせたカリブ海の海賊たちも徐々にその勢力を失っていく。 ポート・ロイヤルの町が海底深くに沈んだのは、ヘンリー・モーガンの死から4年後。 それは、カリブ海の海賊たちの時代の終焉を象徴するような出来事だった。 しかし、瞬と氷河を迎え入れてくれたこの船の海賊たちは、ヘンリー・モーガンの狡猾も、黒髭ことエドワード・ティーチの狂気も、フランソワ・ロロノアの残虐も持ち合わせてはいなかった。 社会の不平等と運命の不公平に虐げられた貧しい男たちが、肩を寄せ合い、強がり励まし合って生きている──。 瞬と氷河が迷い込んだ船には、そんな男たちしか乗っていなかった。 そういう男たちが、海賊稼業に向いているとは、到底思えない。 だから、瞬は、彼等の力になりたいと思ったのである。 彼等が彼等の望む生き方で生きていけるようにしてやりたい、と。 カリブ海が海賊たちの海だった時代は、まもなく終わるのだから。 |