数日後、病院での検査を終えた瞬は、はかばかしい回復の兆候もないまま、城戸邸ではなく星の子学園に身を寄せることになった。

瞬の病名は、側頭葉への外傷が原因の逆行性健忘。
過去に自分が経験した生活史の記憶の想起はできなくなっているが、言語や日常生活を営むための意味記憶は完全な状態で残っているので、元の生活に戻った方が失われた記憶を取り戻す可能性も大きいだろうと、医師は言った。
だが、瞬は、暮らし慣れた家ではない場所で、新しい生活を営み始めることになったのである。

強引に事を進めたのは もちろん氷河だった。
そして、星の子学園の者たちは、彼の協力要請を受け入れた。
というより、氷河の要請の理由を聞いて断り切れなかった。
それが本当に瞬のためになるのかどうかということについては、美穂たちも完全に納得できたわけではなかったのである。

「面倒をかけてすまない」
冬場の晴れて乾燥した日。
星の子学園では毎年恒例の蔵書の虫干しを行う日だったらしく、氷河に詫びを入れられた美穂は、その手に数冊の絵本を抱えていた。

「私たちは構わないし、子供たちも喜んでるけど、本当にこれでいいのかしら……って思うの。星矢ちゃんなんか、もうずっとぷんぷんしてて──」
『氷河は馬鹿だ、氷河は馬鹿だ』を繰り返しているとは、さすがに言えず、美穂は言葉の先を濁した。

察した氷河が、ひどく乾いてひどく薄い苦笑を作る。
「星矢は、瞬がこうなったことに責任を感じているんだろう。だが、これで瞬が幸せになってくれれば、星矢もそのうち、これでよかったんだと思うようになるさ」
「でも……」

本当にそうなのだろうかと美穂は疑った。
美穂とて、終わらない闘いに明け暮れる幼馴染みに課せられた運命に憤ったことは、これまで幾度もある。
しかし、星矢は、そんな現実をさえ肯定的に受け入れ、彼女に笑顔を見せてくれた。
それは無理に作られたものではなく、美穂の目には、星矢が自分を不幸不運だと思っているようには見えなかった。

『仲間たちと会えたから』
と、その時、星矢は言っていた。
だから、その気持ちは星矢の仲間たちも同じなのだろうと、美穂はずっと思っていた──信じていたのだ。

「でも、私にはどうしても……」
氷河の考えに賛同できない──と、彼女が言おうとした時、
「すみません。重いでしょう」
星の子学園の庭に面した渡り廊下の向こうから、絵梨衣の声が聞こえてきた。
その隣りには、虫干しするための本が入っているらしい木箱を抱えた瞬がいる。

「いいえ、全然」
「さすがは聖闘……いえ、私より腕も細いのに、やっぱり男の子なのね──あら」
自分たちの行く手に 瞬の仲間が立っていることに気付いて、絵梨衣は小さな声をあげた。
瞬が絵梨衣の視線の先をゆっくりと追い、同じものの存在に気付く。

「あ……」
記憶を失った瞬が、目覚めて最初に見たもの。
見知らぬ異国人の青い瞳に出合った途端、その瞳の表面を覆っている虚無にも似た冷たさに、瞬は身体をすくませた。






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