瞬はもはや、氷河をただの知り合いと思うことはできなくなっていた。 記憶を失う以前に、毎夜見る夢と同様のことがあったか、あるいは、そういう行為を望むほどに、過去の自分は彼に憧れていたか──そのどちらかなのではないかと、瞬は考えるようになっていた。 おそらく、後者の可能性の方が大きいのだろう。 今の瞬が彼に感じている恐れは、手の届かないものへの畏怖の念が変形したものと考えれば自然だった。 そして、その場合、彼は、瞬のそんな気持ちを迷惑に思っていたに違いない。 そう考えれば、以前の親交を否定する氷河の態度にも納得がいく。 瞬は、悩みあぐんだ末に、氷河の住む家を訪ねてみることにしたのである。 瞬は、真実を知りたかった。 知ってどうなるのかは、わからない。 だが、今のままでいると、瞬は夢に取り殺されてしまいそうだった。 「ほんとは教えるなって言われてるんだけど……」 そう言いながら美穂が教えてくれた氷河の家は──それを“家”と言っていいのなら──とてつもなく大きな邸宅だった。 数十人の子供たちが暮らす星の子学園よりも、敷地面積は広そうである。 軽い驚きは覚えたが、瞬はその邸宅に気後れするようなことはなかった。 その建物、庭の木々、門から玄関に続く 門衛は、瞬が何も言わなくても──アポイントの有無や身分も問わずに──門を開けてくれた。 玄関のインタフォンで、使用人らしい女性に来意を告げる。 開かれた扉の向こうで瞬を迎えてくれたのはその女性ではなく──氷河でもなく──星矢と、長い黒髪の青年だった。 星矢が氷河と同じ家に住んでいるということを、瞬は聞いていなかった。 裕福な慈善家が星の子学園から幾人かの子供たちをまとめて引き取ったのだろうかと推察しながら、瞬は改めて星矢に来意を告げた。 「あの……氷河さんにお会いしたいんです」 「やっと来たな」 そう言って瞬を邸内に招き入れてくれたのは、一度病院で姿を見掛けた、星矢ではない方の青年だった。 星矢が、ほっと安堵したような顔で瞬の手を取る。 それから、エントランスホールの両脇にある階段の一方の下に瞬を連れていくと、星矢はそこで足を止めた。 「……おまえのためになるんなら、おまえに忘れられても構わないなんて、偉そうなこと言ってたくせにさ。あの馬鹿、おまえがいねーとメシも食えねーでやんの。そろそろ1週間になる。もう死んでるかもしれないけど、おまえ、行って、あの馬鹿に説教垂れてやってくれ」 「え……」 「わかるだろう? 2階のいちばん東の──おまえの部屋に、氷河はいる」 紫龍が──瞬はなぜか彼の名を知っていた──階段の上を指差す。 瞬は、しばらくの間、星矢と紫龍とを見詰め、それから紫龍が指差した方向に視線を転じた。 そこに何があるのか──は、瞬にはわからなかった。 だが、知っていた。 手擦りに手をかけながら、恐る恐る階段をのぼり始める。 瞬の中の懐かしさの感情はますます強くなり、階段をのぼりきった時、瞬の手と足は、自分があと何歩歩いたところにある部屋のドアを開ければいいのかまでを思い出していた。 |