花伝抄

〜 みきさんに捧ぐ 〜







『この世をば わが世とぞ思ふ 望月の欠けたることもなしと思へば』
藤原道長が、この有名な即興歌を詠んだのは、摂関政治の最盛期 1018年のことと言われている。
この道長、及び彼の息子・頼通の時代が、藤原家の権勢の絶頂期だったろう。

道長・頼通親子の死後、本邦では、藤原氏と姻戚関係を持たない上皇による院政が始まり、平安時代後期になると、欠けるを知らぬ月のごとき栄華を誇った藤原氏の権勢も後退していく。
そして、日本は、武士が国政の中枢を握る時代へと移行していくのである。

『武士』というのは、もともとは天皇や貴族の警護や紛争の鎮圧を任とする者たちを表した言葉だった。
それが平安後期の荘園公領制成立期から荘園領主や国衙こくがと結びつき、彼等は徐々に所領経営者として発展していったのである。

驕る平家を討ち滅ぼして、源頼朝が鎌倉に日本史上初の武家政権を樹立したのが1192年。
公家の中の公家である藤原道長が、あの歌を詠った時から170余年。
権勢の絶頂にあった道長は、170年後にその日のあることを想像だにしていなかったに違いない。
鎌倉幕府樹立のほんの半世紀前にすら、武士の世の来ることを予感していた者は、この国には数えるほどもいなかったのであるから。

――源頼朝が東国の武士を率いて起つ半世紀前。
武士はあくまで朝廷にさぶらう者に過ぎず、貴族たちはのんびりと最後の栄華の時を過ごしていた。






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