瞬が、自分が無力ではないかもしれないことを知ったのは、それから数ヶ月経った梅雨の季節。
肌寒い雨の降る日に届けられた一通のふみによって。

送り主は、時の左大臣 藤原頼長。
瞬の実父の弟、つまり瞬の叔父である。

叔父と言っても、瞬と面識はなく、無論 親しめる相手でもない。
顔も知らない瞬の実父・忠通と彼とは、いわゆる政敵だったから。
右近衛権中将、権大納言、内大臣、左近衛大将を経て、6年前、左大臣の地位に進んだ彼は、その年に瞬の父・忠通の別邸を襲って藤原氏長者の印たる朱器台盤を奪い、彼の恨みを買っていた。

頼長は、その学識の高さにも関わらず、他人に容赦のない酷薄な性格で、彼を憎む者たちに『悪左府』と呼ばれている。
現在この国の実質的最高権力者である鳥羽上皇の寵幸を受けているが、近衛天皇は頼長をあからさまに嫌っているという話だった。

氷河は瞬には決してそんな話はしなかったが、家中の者たちの噂を漏れ聞いたところでは、頼長が鳥羽上皇に気にいられているのは、彼が鳥羽上皇の寝所に、上皇の気に入るような者たちを多く送り込んでいるためだという。
要するに女衒ぜげんである。
普通の女衒と異なるのは、彼の扱う商品に少年も含まれているということだけだった。

その悪左府から、忘れられた存在である瞬の許に届けられた文。
そこには、氷河と瞬の乳母しか知らないはずのあの秘密と共に、その家格からは望むべくもない地位を氷河に与える準備があることと、そのための条件が記されていた。

それから数日間、悩みに悩みぬいて、瞬は叔父に返事を書いたのである。






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