「氷河のばかーっっ !! 」

瞬の気配を身近に感じ、心地良い午睡に心身を任せていたはずなのに、氷河の寝覚めは最悪だった。
目覚めた氷河は、自分が庭に敷かれたじゃり石の上にいる理由も、その脇に真っ二つに割れた長椅子が転がっている訳も、全くわからなかったのである。
かなり激昂した瞬の声を聞いたような気がしたのだが、氷河の視界の内にその姿はなく、彼の目の前では緑の衣装を脱ぎ去った秋色の樹木が その葉を謎めかせながら散らしているだけだった。


――謎は、更なる謎を招く。
翌日、やはり秋晴れの朝。
氷河は、昨日から全くページが進んでいない詩集を睨みつけている瞬を、外に誘い出そうとした。
「瞬、今日はどこかに行く予定があるか? なかったら俺と――」
ひとりで・・・・読書してる」
誘いに乗るにしても断るにしても、いつもならそれなりに氷河の相手を務めてくれる瞬が、今日に限ってはきっぱりと拒否の意思を提示してくる。
瞬の様子はいかにも不機嫌で、言葉ではなくその態度で、瞬は、重ねて自分に話しかけてくることを氷河に禁じていた。
「…………」
ここで瞬に無理強いする権利も度胸も有していなかった氷河は、瞬のはっきりした拒絶の前に沈黙することしかできなかったのである。

瞬はその日一日不機嫌なままだった。
その日一日どころか翌日も翌々日も翌々々日も その不機嫌は続き、そして、瞬は氷河を避けていた。
氷河にはもちろん、自分が瞬に避けられる理由が皆目わからなかったのである。

そんな状態が1週間。
さすがにこれは異常事態だと悟った氷河は、瞬の不機嫌の沈静を無為に待つのをやめ、瞬にその理由を問い質すことにしたのだった。
「おまえはなぜ俺を避けているんだ?」
廊下で氷河の姿を見るなり まわれ右をしようとした瞬の腕を掴まえ、その場に引きとめ、口調をなるべくきつくしないように注意しながら、瞬に尋ねる。
尋ねられた瞬は、始めのうちは氷河の手から逃れようとしていたのだが、そうすることが無理と知ると即座に、そして 半ば開き直ったように、氷河を真正面から見据えてきた。
まるで、本当は、自分が氷河を忌避している理由を彼に問われる時を待っていたのだとでも言うかのように。

瞬の唇からは、思いがけない言葉――氷河にとっては――が飛び出てきた。
「氷河は僕が好き?」
「…………」
それがあまりに突拍子のない質問に思えて、氷河はすぐに瞬に答えを返すことができなかったのである。
苛立った口調で、瞬が同じ質問を繰り返す。
「答えて。僕が好き?」

「……好きだ」
瞬の表情がいつになく険しいので、氷河は瞬に真実の答えを返すことしかできなかった。
この場をはぐらかすのに適した言葉が、彼は咄嗟に思いつかなかったのである。
なぜ はぐらかさなければならないのかを承知しているだけに、氷河は焦りを覚えてもいた。
そんな氷河に畳みかけるように、そして責めるように、瞬が言葉を継いでくる。

「どんなふうに?」
「どんなふうに……とは」
「言葉通りだよ。答えて。どんなふうに?」
真面目に答えてしまいたかったのである、氷河は本当は。
自分がどれほど、どんなふうに瞬を好きでいるか、本心を伝えられたらどんなにいいだろうと思う。
しかし、彼はそうするわけにはいかなかった。

「それはまあ……訳も聞かせてもらえずに こんなふうに避けられたら、おまえは腹でも下してるんじゃないかと心配する程度に」
口許を歪めて無理な笑顔を作り、氷河はそう言った。
瞬がその言葉に呆れるか、あるいはそのたわ言を一笑に付してくれることを期待して。

「ふーん」
しかし、氷河のその期待は裏切られ、瞬の顔は相変わらず固く強張ったまま。
そして瞬は、それ以上は何も言わずに、氷河の前から立ち去ろうとした。
このまま――瞬を不機嫌にしたまま――瞬を行かせてしまうのは非常にまずいと直感した氷河は、慌てて仲間の腕を掴み、その場に引き止めた。
それから彼は、舞台上の悩めるハムレットさながらに大仰なセリフを吐き出してみたのである。
「おまえは俺の月だ星だ太陽だ! ……と思っている」

氷河の冗談口調に、しかし、瞬はくすりともしない。
いつもなら こんな時、氷河の道化振りに苦笑して大抵のことは許してくれる瞬が、今日はひどく頑なだった。
「ほんとのこと言えないんだ」
「…………」

その通り、である。
氷河が黙り込むと、瞬は怒りの色を露わにし、唇を噛み締めて踵を返してしまったのだった。






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