「そんな助平なことは一切考えていないと言えばいいじゃないか。朝から晩まで妄想している云々と言ったのは いつもの冗談だったと、今すぐ瞬に訂正してこい」
「……一切考えていないわけではない」
「そこは嘘も方便って言うだろ」

紫龍と星矢の、これこそまさに“処世の術”と言える助言に、氷河は従うことはできなかった。
できるわけがないではないか。
「そんな嘘は、自分で自分の首を絞めるようなものだろう。そんなことを堂々と宣言したら、俺は、それこそ一生瞬と清らかなお付き合いをしなければならなくなる」
「一生嫌われっぱなしよりはいいだろ。どうせ今までだって手も握れずにいたんだし、それで状況が今より悪くなることはないじゃん」
「…………」

星矢の意見は至極尤も、これ以上ないほど論理的である。
だが、いつかその手を握ることができる日が来ると思えばこそ、氷河はつらい片思い状況にもこれまで耐えてこられたのだ。
自分から『一生おまえの手を握らない』と瞬に宣言することは、氷河には生半可な気持ちで行える行為ではなかった。

「俺は瞬に嘘はつきたくない」
「あわよくば いつか××したいと思ってるなんて、ほんとのこと言ったら嫌われるだけだろ。正直も時と場合によるぞ」
星矢の助言に、紫龍が頷く。
「そんな先のことより、現状を打破する方策を考えた方がいい。大事なのは今だ。将来の××のことは、この際念頭から追い払え。“今”を修復しないと、未来の××はない」

「そうは言ってもだな。片思いをしている人間ってのは、幸福な未来を想像することで、現在の満たされなさとのバランスをとろうとするようにできているんだ。そんなことを考えるつもりがなくても俺が色々考えてしまうのは仕方のないことで、自然なことだろう。だいいち今更、あれはただの冗談だったと言ったところで、瞬が信じてくれるかどうか……」
そうなのである。
瞬は、そこまでお人よしでもなければ馬鹿でもない。
あの“真実”を瞬に冗談だったと言い含めることは もはや不可能なことであるように、氷河には思われた。

「そんなに四六時中考えてるのかよ? 瞬のこと」
助平根性も大概にしろと非難するように、星矢がぼやく。
しかし、氷河には、それが事実であり現実であり、そして真実でもあった。

「瞬と一緒に過ごす場面ならいくらでも想像できるな。助平なことだけじゃないぞ。ただ側にいる場面を思い描くだけでも――楽しいんだ」
氷河のささやかな楽しみを、星矢は情け容赦なく『暗い』と思った。
思ったのだが。

「逆に、瞬のいない世界というのは全く想像できないから、俺は瞬のいない世界では生きていられないんだろうな」
「…………」
だが、“暗さ”も極めれば“健気”であり“情熱”である。
かけらほどにも照れた様子もなく、笑いもせず、真顔でそんなことを言ってのける氷河に、星矢は、半ば呆れ、そして半ば感心した。

「おまえ、それ、瞬に言ってやればいいじゃん。そしたら瞬も機嫌直すだろ」
「言えるわけがないだろう。貴様等の阿呆面に向かってだから言えるんだ。瞬に面と向かったら――」
「そんなクサいセリフは言えんか」
紫龍の突っ込みに、氷河は全く笑わなかった。
沈鬱かつシリアスな面持ちを保ったまま、こころもち瞼を伏せて低く呟く。
「瞬の重荷になるだろう……」

自分がどれほど瞬を思っているかがわかっているから、氷河はその事実を瞬に告げることなく、気が遠くなるほど長い時間を――恋する者にとっては――耐えてきたのだ。
世界の中心に瞬を据えている男など、瞬には負担以外の何ものでもないに違いない。
そう思えばこそ。
その決意を、たかが寝言ごときで翻してしまうことなど、氷河には思いもよらないことだった。

そんな氷河の様子を見て、星矢が大きく長い溜め息をつく。
「おまえ、ほんと、瞬がいないとこでは二枚目なんだけどなー」
「肝心の瞬の前で二枚目を気取れないのでは話にならん」
言いたいことを言ってくれる二人の仲間に、氷河は少々自棄気味な気分で噛みついていった。
「貴様等には、恋する男の複雑にして繊細な気持ちがわからんのかっ!」
「そんなモノをおまえが持ち合わせていたことに驚いてる」

「貴様等くらい図々しくて無神経な男に生まれていたら、さぞかし生きていることが楽だったろうと、俺も思うさ!」
これ以上 無神経な男共と交わす言葉はないと言わんばかりの勢いで、氷河は椅子を蹴った。






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