怪我人のために花を摘んできてくれと言って瞬と氷河に席を外させたのは、カミュの思いやりだったのかもしれない。
黄金聖闘士の泣き言や悔し涙を青銅聖闘士に見せるわけにはいかないと、彼は考えたのだろう。

「俺は瞬に尊敬なんかしてほしかったわけじゃない」
青銅聖闘士たちがその場からいなくなると、ミロはくぐもった声で呻くように言った。
「おまえに任されるにしては、出来が良すぎる子だったことが不運だったな」
初めてカミュの声音に、同情の色が混じる。
「だが、師というものはそういうものなんだ、我慢しろ。弟子は師を越えていくもの。その時、師たる者は弟子の成長を喜ぶしかない。それに、ものは考えようだぞ」

言いながら、カミュがミロの枕許にある木の椅子に腰をおろす。
視線を同じ高さにすると、彼の瞳の中にあるものが侮蔑だけではないことが、ミロには見てとれた。
「おまえがあの子の師でなかったら、おまえは氷河とまともに闘うことになっていただろう。そうなればおまえは氷河に敗北していた。勝っても負けても、十中八九死んでいたはずだ」
「なに?」

仮にも黄金聖闘士が青銅聖闘士に――しかもカミュの弟子などに、敗北する――とは、いったいどういうことなのか。
ミロはカミュの真意を図りかねた。
カミュが己れの弟子を買い被っていないことがわかっているだけに、ミロにはカミュの推測の根拠がわからなかったのである。

「おまえがあの子の師でなかったら、あの子には他に師匠がいたはずだ。当然、おまえのような利己主義者ではなく聡明な人格者だ。そういう人物なら聖域を支配していた邪悪の気配にも気付くだろうし、正義のために聖域に楯突くこともしていただろう。そうなると、偽教皇のサガは、単純で自分のことしか考えていないおまえのような男を、あの子の師匠に対する刺客としてあの子の修行地に送り込む。何も考えていないおまえは、何も考えずにアンドロメダの師を倒して、あの子の恨みを買うことになっていたかもしれん。間抜けなおまえのことだから、倒したつもりで実はトドメを刺せていなくて、間抜けの名をあげていたかもしれないな」

どうすれば、そんな荒唐無稽な展開が思いつくのかと、ミロは、カミュの妄想力のたくましさに呆れかえってしまったのである。
そんなミロを無視して、カミュは彼の荒唐無稽なストーリーを語り続ける。

「シュラだって、青銅聖闘士にやられていたかもしれない。奴は生真面目というか、一本気というか、おまえ以上の単純馬鹿だから、たとえ青銅聖闘士に倒されなくても、城戸沙織が本当のアテナと知らされた後は もはや生きてはおれなかっただろう。私もおそらく氷河に倒されていた。アフロディーテなど問題外、サガの改心もあったかどうか」

カミュが編むストーリーには、部分的には頷けるところがないでもなかったが、それにしても突飛に過ぎるものだった。
ミロには、冗談にしても笑いどころがわからなかったのである。
「よく、そんな陳腐な展開を思いつくな。だいいち、いいのか貴様、弟子の氷河に負けて」
「おまえは、氷河の恐ろしさをわかっていない。我が弟子ながら、氷河は――氷河は本当に恐ろしい男なんだ。氷河と闘って勝つということは、恥辱にまみれた生を選び取ることに他ならない。氷河に勝つくらいなら、死んだ方がはるかにまし、あれに勝利することは死以上の恥辱だ」

まともに拳を交わさずに、一度は氷の棺に閉じ込めることのできたカミュは、氷河の復活を知った時に、自らの運命を悟ったのである。
氷河と闘い敗北するか、卑怯ではあっても弟子との闘いを回避するための努力をするしかない――と。
氷河と闘い、勝利をおさめ、一生涯『あのキグナス氷河に勝った男』と後ろ指をさされて生き続ける――という項目は、誇り高い水瓶座の黄金聖闘士の人生の選択肢の中には存在していなかった。

幸か不幸か氷河のダンスを未見のミロには、カミュの気持ちが正確には理解できなかったのだが、そんな彼にも何となく、氷河の恐ろしさを感じ取ることだけはできたのである。
氷河を白鳥座の聖闘士に育て上げた当の本人がそこまで言うのだ。
あの金髪の小僧に驚異的な力が潜んでいることは事実であるに違いない。

「おまえがあの子の師匠だったおかげで、おまえを含め5人もの黄金聖闘士の命が救われたんだ。あまり落ち込むな」
思いがけないほど簡単に、しかも3時間ほどの猶予を残して十二宮での戦いは終わり、聖域は正当なる女神を迎えることができた。
生き延びた4人の黄金聖闘士と、死ななかった4人の黄金聖闘士を敵に回すことの愚を悟り、サガの邪心も消滅した。

確かにそれは喜ばしいことなのだろう。
この結末を歓迎することには、ミロは決してやぶさかではなかった。
だが――。

「素直で可愛い弟子など持つものじゃない。どんなに可愛がってやっても、結局はこの手を離れて、どこかに飛んでいってしまう」
「弟子をとるということは、そういうことだ。それに耐えられないのなら、二度と弟子などとらんことだな」
「…………」
真顔でボケをかますことの多い男の言葉であるがゆえに、それが真摯な忠告なのか、あるいはただの揶揄なのかを、ミロはすぐには理解しかねたのである。
ただ、もしかしたらカミュ自身が、あんな弟子でも、その成長と巣立ちを切なく感じているのかもしれないと、ミロは思うともなく思ったのだった。






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