神君徳川家康が秀忠に将軍職を譲り駿府城に大御所として君臨して10年、大阪冬の陣・夏の陣を経て徳川幕藩体制が揺るぎないものとなった元和元年(1615)春。
ついに訪れた戦のない世を謳うように、甲賀の里には花が咲き乱れ、木々は緑の若葉を輝かせていた。

その甲賀の里のはずれで、氷河は妙なものを見ることになったのである。
それは人間の姿をしていた。

(脚はどう見ても女だが、胸がないように見える……な)
桜色の、童のように丈が膝に届かない着物を着たそれ・・は、辺りをはばかる様子もなく、まるでそこが自分の庭でもあるかのように自然にそこにいた。
少々長めの髪を結んでもおらず、それがますます子供じみている。
背の丈がもう2、3寸も低かったら、確かにそれは子供だった。
その手足はどう見ても少女のそれなのだが、何かどこかが普通の少女とは違う。

甲賀の里の者ではない。
里に住む者 数百人の顔を、氷河はすべて覚えていた。
そして、ここは―― 一見のどかな農村だが、里の者以外が簡単に入り込めるような気軽な場所ではない。
住む者はすべて――乳飲み子以外は――鍛錬を積んだ忍びの者だけのこの里に、よそ者が入り込んだなら、物見の者から何らかの合図があり、里の空気が緊張するはずなのだ。
しかし、氷河がその者の姿を認める以前と同じように、今も、蝶は花々の間を静かに飛びまわり、鳥はそのさえずりを続けている。

氷河は、里のはずれの高木の上で昼寝をしていた。
だから、幾らでもその侵入者の様子を観察することができた。
それ・・は、すぐ側の木の上に人がいることに気付いているふうもなく、またさしたる目的があるようにも見えない様子で、氷河のいる木の根元に咲いている花に気をとられている。
それは、氷河と違って気配を殺しているわけではない。
害意も感じられず、緊張もしていないらしい。
ここがよそ者が容易には入り込めない忍びの里でさえなかったら、花に惹かれて野に迷い込んできた無邪気な子供という風情だった。

気配を消していた氷河に鳥も気付かなかったのか、突然氷河のいる木の上の方で鳥が甲高い声を響かせ始める。
その子供は、その声に弾かれるように顔をあげて口許をほころばせた。
自分の背丈の2倍以上の高みにある枝に飛びつくと、そのまま弾みをつけて身体を一回転させ、次の瞬間には それは氷河がくつろいでいた枝の端に乗っていた。

「えっ?」
そこに鳥以外のものがいるとは思っていなかったのだろう。
突然目の前に出現した見知らぬ男の姿に驚いた様子で、その子供は瞳を見開いた。
そこに人がいるだけでも驚くには十分なところに、氷河の外見は常人と大きく異なっている。
氷河の母は異国人で、氷河はその母から金色の髪と青い瞳を受け継いでいた。

20数年前のある日、甲賀五十三家筆頭の山中家の当主だった氷河の父は、金色の髪と青い瞳をした女を伴ってこの里に帰ってきた。
その二人の間に生まれたのが氷河で、氷河の髪と瞳は母譲りの色をしているのである。
この里の外では、氷河は誰からも奇異の目を向けられた。
自分が持って生まれたものに決して卑屈の念を抱いているわけではなかったが、氷河はこの頃では鬱陶しい他人の目を避けるために髪を黒く染めることが多くなっていた。
だが、それも里の外に出る際だけのことである。
里の中では、氷河は母から受け継いだものを受け継いだままにしていることができた。

甲賀が忍びの里であったことは、氷河にとって幸運だったかもしれない。
そこは、姿形などに何の価値も置かず、忍びの技に秀でていさえすれば存在を認められる、強さだけがものを言う世界だった。
父も母も既に亡かったが、現在の山中家の当主は異国人の血を引く氷河自身で、そのことに不満を漏らす者は家中にも甲賀の里にも一人としていなかった。






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