人に気配を悟られず甲賀の里にもやすやすと入り込めるすばしこさと悪意のなさ。
それが瞬の取りえ。
それをこれほど素晴らしい取りえだと思ったことはない。
翌日早朝、瞬は二人の密会場所に昨日と同じようにやってきてくれた。

由比ゆいの目を盗んで抜け出してきたの。もう会えないかと思った……!」
由比というのが、あの くノ一の名のようだった。

「兄さんを許してね。一輝兄さんも大変なの。僕はろくに術も使えない無能な忍びで、でも、兄さんはその僕を頭領として立てておかなきゃならなくて……。立場上、昨日はあんなことをしたけど、兄さんは決して氷河を嫌いなわけじゃないんだ」
それはどうかと反論したいところだったのだが、氷河はそんなことよりも瞬を抱きしめることの方を優先した。
昨日と同じように、瞬の身体は花の香りがした。

「おまえは本当に伊賀の頭領なのか」
「うん」
ろくに術も使えないはずのおまえがなぜ と尋ねる前に、氷河の方が瞬に問われていた。
「氷河こそ、山中家の――甲賀の頭領だっていうのはほんと?」
「俺に勝てる者がいないというだけのことだ」
「強いんだ。だから優しいのかな」
悲しげな吐息を、瞬は氷河の胸の中で漏らした。

「強くない人は、自分が殺されることを恐れて、無駄に殺気を放って闘うものだから……。術の優劣じゃないよ、そんなのは絶対的なものじゃない。心……とか、気持ちの持ちようの話。自分に自信が持てたら、人は皆、気持ちに余裕が生まれて血気にはやることもなくなると思うんだ。みんなが氷河みたいに強かったら、そして、その強さをお互いに認め合えてたら、きっと誰も闘わなくてもいい世の中になると思うのに……」

瞬が語る事柄は凡百の人間には決して辿り着けない理想であるように、氷河には思えた。
だが、それが瞬の唇から出た言葉だというだけで、そんな世界の実現が決して不可能なことではないような気がしてくる。
「僕も……強くなりたい」
力ない口調で呟く瞬の唇に、自分の唇を重ねる。
それから氷河は瞬を抱きしめる腕に更に力を込めた。

「おまえは少なくとも俺よりは強いぞ。おまえは心に余裕がありすぎて、俺は闘う気にならない」
「僕には何の力もないよ」
「そんなことはない。この原に咲く白い花に誰も刀を向けようとは思わないだろう。おまえの強さはそういう強さなんだと思う。無心の――忍びの“正心”というやつだ」

今は、甲賀の者も伊賀の者も忍びの根本である“正心”を見失っている。
邪を正し、義を立て、欲心を殺す。それが忍びのわざの本源だというのに、である。
自分は他者より優れているという確証を求めること自体が既に、弱さの証ではないか。

「みんなが花になってしまえば、争いはなくなるかな」
「人は心を持っていてこその人だから色々面倒なことも起こる――が」
瞬の可愛らしい例え話を、氷河は至極真剣な思いで打ち消した。
「おまえが人でよかったと思う俺がここにいる。難しいものだな」
「氷河は、僕が人でいた方がいいの」
「花は、こんなふうに抱きしめられないからな」

それが花の心を持った人なのか、人の心を持った花なのか、そんなことは もはやどうでもよかった。
瞬が甲賀と対立している伊賀の者であることも――それが何だというのだろう。
抱きしめていた身体を抱き上げ、そのまま氷河は瞬を、まだ僅かに露の残る下草の上に横たえた。
「あ……」

瞬に唇と身体を重ねると、瞬は少々戸惑いがちにではあったが、氷河の背に腕をまわしてきた。
この手の知識が皆無というわけではないらしい。
だが、氷河にはわかっていた。
瞬はそれを知っておかねばならない知識として教えられたことはあるかもしれないが、その行為自体は知らない。

甲賀には男女を問わず、定めた相手を性的に誘惑する術があった。
同じ術が伊賀にはないとはいえない。
むしろ、ない方がおかしかった。
だが、瞬のあの兄が、そんな術の会得を瞬に許すはずがない。
その点に関してだけは、氷河は瞬の兄に感謝していた。

瞬の着物の帯を解き、緑の草の上に裸身をさらさせる。
触れた肌は、氷河が考えていた通り、他の者の手に触れられたことがある肌とは思えなかった。
愛撫を重ねるほどに その肌は熱を持ち、やわらかみを増し、氷河の指を刺激してくる。
うっとりと目を閉じ、唇を薄く開き、氷河の愛撫に喘いでいるだけの瞬に、氷河は自分の方が愛撫されているような錯覚をさえ覚えたのである。

瞬の右の肩に五芒星に似た小さな赤い痣があった。
その上を唇をなぞると、瞬はなまめかしく身をよじり、そして 小さな悲鳴をあげた。
「や……っ」
瞬の腕、頬、胸、腹、腿、爪先――触れるだけで、瞬は氷河に欲情を誘う。
そんなはずはないと思いつつも 氷河は、実は瞬の存在そのものが伊賀の奥義とも言えるものなのではないかと、ふと疑いの念を抱いたのである。

だが、そんな疑念は無意味だった。
その時にはもう 氷河は抑えがきかない状態になっていて、氷河は自身の欲情と瞬の肌が持つ熱に促されるまま、瞬の中に入り込んでしまっていたのである。
途端に、瞬の肉が氷河に吸いついてくる。

「う……あっ……あ……」
瞬自身は、突然我が身を襲ってきた激痛に身体を強張らせていたが、その中は違っていた。
「いた……あ……あ、痛い……氷河……氷河っ」
氷河の身体を挟むようにして強張る瞬の腿を愛撫しながら身体を進め、氷河は瞬の唇の上で囁いた。
「痛くないだろう? おまえの身体は歓んでいる。痛くないはずだ」
「あ……」

固く閉じて涙さえ滴らせていた目をうっすらと開けた瞬は、そこに氷河の青い瞳を認めると、あの花の香りのする吐息を漏らし、微かに氷河に頷いた。
それから再び目を閉じると、瞬は喉だけでなく全身をのけぞらせて、大きく喘ぎ始めた。
氷河の上衣にしがみついていた瞬の手は、今では緑の下草の上に投げ出されている。
氷河に突き上げられるたびに、瞬は悲鳴に似た声をあげたが、それは完全に歓んでいるだけの声だった。

氷河は身に着けているものをほとんど脱いでいなかったが、叶うことなら、煩わしいものをすべて脱ぎ捨てて瞬と交わりたいと熱望したのである。
確かに、これが瞬の秘術だというのなら、自分はもはや瞬の言いなりになることしかできないだろうとも思う。
氷河がその律動を終えた時、半分死んだようにぐったりとしてしまっていたのは瞬の方だったのだけれども。






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