由比の言葉が虚言でないことは、伊賀の里に足を踏み入れる前にわかった。
里の屋敷の数軒が火に包まれている。
夜だというのに、伊賀の里は真昼のように明るかった。
里のあちこちに、無色透明の石の柱が屹立しており、その中に伊賀の忍びらしい男たちが封じ込められている。
中には十数人がまとまって封じ込められている小山もあって、さながら罪人が死後投げ込まれるという八寒地獄の様相を呈していた。

「こいつらは皆 死んでいるのか」
「わからぬ……が、これでは呼吸ができまい」
仮死の術が使える者でも、無限に無呼吸でいられるわけではない。
そもそも これでは皮膚呼吸ができないだろう。
数百人の住人がいた伊賀の里で、生き延びている者、動ける者は10人に満たなかった。

里の中央にある集会場らしき広場に、瞬がいた。
暗い血の色の髪。
瞳も闇のように黒く、それでいながら、それらのものは禍々しいほどに輝いている。
その周囲を嵐のような気流が取り囲んでいたが、その速さは尋常ではなく、そのせいで気流はほとんど空気の壁のようになっていた。
その身体は3尺ほど宙に浮いている。

「これが瞬? 本当に瞬がこんなことをしたというのか……」
「瞬が俺の弟だから伊賀の頭領だと思っていたか。この里で最も強いから、瞬が伊賀のかしらなんだ」
この期に及んでも氷河の登場を快く思っていないらしい瞬の兄が、氷河に毒づいてくる。
彼も相当の手傷を負っているようだったが、氷河はその事実も彼の言葉の棘も無視して、瞬の目の前に飛び出した。
そして、自分よりも高い場所にいる瞬に向かって、声を張りあげる。

「瞬、俺だ、氷河だ! もうこんなことはやめろ。俺は死んでなどいない!」
「氷河……?」
その声に気付いた瞬が、空気の壁の向こうで右の手を前方に差しのべる。
途端に、瞬の手の作った気流が鋭い刃のように氷河の頬をかすめ、その衝撃が氷河の身体を地面に叩きつけた。

その様を見詰めていた瞬が、ゆっくりと細い眉を吊りあげる。
「氷河をかたるな、偽者め! 僕の氷河は強いんだ。僕より強い。でなければ、氷河じゃない」
当の氷河に向かって傲然と、瞬の姿をしたものは言い放った。
氷河としては苦笑するしかなかったのである。
確かに、今の自分は、瞬が示す圧倒的な力の前に手も足も出ずにいる無様な男だった。
「きついことを言ってくれる」
瞬の周囲の嵐は、それ自体が刃物の切っ先のように鋭く、肉を切らせて骨を断つ覚悟で飛び込んでいっても、ただ瞬の身に触れることすら不可能のようだった。

「あの渦の中に火薬を投じて火をつけてみた。瞬の身が焼けることも覚悟して、それでも瞬が正気に戻ってくれるならと思ったんだが、あれは逆に外側に向かって炎を撒き散らした」
つらそうに、瞬の兄が伊賀の里の火事の訳を語る。
こんなことになっても兄は弟の身を案じずにはいられなかったらしい。
それは氷河も同じだった。
そして、氷河も瞬の兄同様、取り戻したいものは瞬の身体よりも心の方だった。

「俺の凍気ならどうだ」
言うなり、瞬の作っている壁めがけてそれを投射してみる。
氷河の凍気は光よりも速く跳ね返され、それは氷河が伴ってきた甲賀の者たち数人の足の自由を奪ってしまった。

「よけられんのか、これくらい……!」
氷河は同胞の無様さに舌打ちしたのだが、無様な甲賀の忍びたちを弁護したのは、意外なことに伊賀の頭領の兄その人だった。
「皆、瞬の力に圧倒されている。仕方がない。あんなものに取り憑かれる前から、瞬は人を自分の意に従える技に秀でていた」
「忍びの術ではなく、真心でな。あれは俺たちの知っている瞬じゃない」
そう言って、氷河は唇を噛みしめた。
瞬が手に入れたいと望んでいた強さは、断じてこんな力ではないはずだった。

「――火を投じてこの程度の火事で済んだのは、むしろ幸運か。へたをすると伊賀の里どころか高旗山も焼き尽くしていたかもしれん……地中から近付くことはできないのか」
「無意味だろう。瞬の身体は浮いている」
そして、瞬の作る嵐の壁は天高くそびえ、鳥すらも近づけそうにない。

「瞬の力は無限か? 憑いている魔が離れるということはないのか?」
「わからん。瞬以前に我が家の者に冥王が降りたのは、もう150年以上前のことだ。冥王はその時には、京の都を半分以上焼き尽くした」
「…………」

氷河は、瞬でない瞬が持つ力に驚嘆し、だが、だからこそ一層、その力から瞬を解放してやらなければならないと思ったのである。






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