瞬をこの禍々しい力から解放しなければならない。
だが、その方法がわからない。
氷河と一輝がこの力を破る方法を講じ始めた時、変貌してしまった瞬を自失したように見詰めているだけだった由比が、突然瞬の前に飛び出していった。

「瞬様っ! 私が悪うございました。私の命でよければ瞬様に差し上げますから、どうか元の瞬様にお戻りくださいっ」
切っ先を自分の心臓に向けた短刀を手にして、彼女は瞬を取り囲む嵐の中に飛び込んでいこうとした。
それは、だが、あえなく弾き飛ばされる。

まるで木の葉のように宙に舞った由比の身体を、一輝が、地面に叩きつけられる前に受けとめる。
氷河は伊賀のくノ一の無謀に呆れ、その無事に安堵し、それから、彼女が手にしていた短刀がまだ闇の中できらめいていることに気付いた。
その刀が落ちる場所に、緑色の小さな植物が植えられている。
それは、瞬が氷河に言われて甲賀の里から持っていったあの白薔薇の枝だった。
瞬はあの枝を自分が住む屋敷の庭ではなく ここに――皆が集まるこの場所に――おそらくは伊賀と甲賀の和解を願って植えたのだろう。

そうと気付いた瞬間に、氷河は地面を蹴っていた。
短刀が薔薇の苗に突き刺さる直前に、素手でその刃を握りしめることで、氷河はその植物の命を守ることができた。
伊賀も甲賀も永遠にこの世から滅び去ってしまうかもしれないという こんな時に、自分は何をしているのかと、真紅の血を流す己れの右手を眺めながら、氷河は自嘲したのである。

だが、冥王に吹き飛ばされずに済んだなら、もしかしたらこの花の方が、伊賀・甲賀などという人が作ったものよりも長く生き続けることもあるのではないかと、氷河は思った。
瞬を元の瞬に戻さない限り、おそらく瞬は伊賀の里のみならず甲賀の里も、その力をもって破壊し尽くしてしまうだろう。
どうすれば瞬を元の瞬に戻すことができるのか――その手段を思いつけないまま、氷河はもう一度瞬のいる方を振り返った。
そして彼は異変に気付いたのである。

瞬を取り囲んでいた嵐が、その力が弱まりつつあった。
瞬は、氷河の足元にある花と、氷河が手にしている短刀を放心したように見詰めていた。
「氷河の花……」
嵐が消え去り、瞬の髪の色が元の淡い色に戻り、やがて、その足が地に着く。

「氷河……」
その瞬間に瞬は瞬に戻り、氷河の胸に飛び込んできた。
「氷河、氷河、氷河―っ!」
しがみついてくる瞬の身体を左の手だけで抱きとめて、氷河は長い安堵の息を吐き出したのである。
「俺ではなく、花で正気にかえったか……」

本当は花でもなく――花を守ろうとした氷河の行動こそが瞬の望む強さだったから、それを強さと認めたから、瞬は氷河を氷河と認めることができたのだろう。
なにしろ、瞬の氷河は、瞬よりも強くなければならないらしいのだ。
面映ゆくて到底言葉にすることはできなかったが、氷河は瞬の回帰を そう理解した。

八寒地獄に塗り込められていたような伊賀の者たちは、幸い全員が生きていた。
瞬が作った岩は、物理的な質量を持ったものではなく、まさに凍った心が作った檻だったのだろう。

その場に居合わせていた甲賀の者たちも、彼等が敵と見なしていた伊賀の頭領が 正面から立ち向かっていって容易に勝てる相手ではないということだけは、はっきりとわかったらしい。
“これ”を敵に回すくらいなら伊賀と一つになった方がはるかに利口だと考えているのが明白な顔つきで、彼等は伊賀の頭領と甲賀の頭領の抱擁を見詰めていた。

「ど……どうだ、伊賀の頭領は俺に首ったけだろう。瞬は、俺の頼みなら何でも叶えてくれる。だから俺も瞬の願いは叶えてやりたい。瞬は伊賀と甲賀を一つにすることを望んでいると思うぞ」
腕の中で泣きじゃくっている瞬の髪を撫でながら、氷河は少々虚勢を張って自分の部下たちに告げた。

「そのお言葉は決して嘘ではないようですが――」
しかし事実でもないのだろうと、彼等の目は語っていた。
彼等の目には、甲賀の頭領が伊賀の頭領の尻に敷かれている幻影が見えていたに違いなかった。






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