「これは一夜の夢だ。恋じゃない」
氷河はまだ、二人の間にあるものを“恋”と言われたことにこだわっているらしい。
この夜限りと思いながら、こんな夜をこれまで幾度 重ねてきたか――を、瞬は思った。

明日には生きていないかもしれない二人にとって、いつの夜も、これは一夜限りの儀式だった。
だが、瞬は、実は心底からそう思ったことは、ただの一度もなかったのである。
瞬が、二人で過ごせる夜が今夜限りと思うのは、そう思っていた方が 氷河との交合をより大切なものと感じることができるからだった。
次はないかもしれないと感じながら身体を重ねる方が、心身の歓喜の度が増すからにすぎない。
そう思えば、氷河の望むどんなことにも、瞬は応じることができた。

「この一夜を永遠と信じているのが、恋人たちのお約束だよ。愛の誓約は主観的には永遠でなくちゃ。明日にはこの恋が冷めていると信じてる人を恋人に選ぶ人なんていない。それは恋人じゃなく、ただの道具だよ」
氷河の胸に身体を乗り上げて、彼の青い瞳を覗き込みながら、瞬は氷河に告げた。

「俺とおまえは恋し合っているわけじゃない。その理屈でいけば、俺とおまえは互いに便利な道具同士だということになるな」
「道具同士……?」
たった今 彼が夢中になって我が身を沈めていたものを道具と侮辱する氷河に、だが、瞬は怒りも屈辱も感じなかった。

『確かに氷河の道具・・は立派なものだけど』と軽口を叩いてから、すぐ真顔に戻る。
「僕はそう思っていないから。でなかったら、同性の氷河にこんなこと許したりしない」
「俺はこの一夜が永遠だとは思っていない。なぜおまえはそんな俺に――」
「永遠だと思っていなくても、永遠であればいいと、氷河は願っているでしょう。それがわかっているから――」

「永遠だと思っていない」
瞬に最後まで言わせないために、氷河はもう一度その言葉を繰り返した。
「だいたい、愛だの恋だのなんてものは――その正体がわからないから、人間はその答えを求めて何千年もああだこうだと喧々諤々してきたんだろう。延べ人数でいったら何千億・何兆の人間が何千年もかかってわからなかったものが、俺やおまえにわかるはずがない。これは恋なんかじゃない」

「恋じゃないかもしれないけど、恋かもしれない。紫龍も言ってたでしょ。正体を知らずに落ちるのが恋だって。氷河は真面目に考えすぎなの」
「…………」
苦笑としか言いようのない笑みを浮かべて、たしなめるようにそう言うと、瞬は氷河の胸に左の頬を押し当てた。
瞬の髪と睫毛の感触が、氷河の胸をからかうように やわらかい。

氷河は、恋の定義など真面目に考えているわけではなかった。
ただ無理に事実を見ないようにしているだけだった。
そして、不思議でもあった。
瞬はなぜ、彼が“恋人”と呼ぶものに道具と断じられて 立腹する様子を見せないのか、が。
『それはなぜだ』と考えるより先に、その答えが氷河の内に響いてくる。

どんなに恋ではないと言い張っても、瞬はわかってるのだろう。
肉を食らう獣がどれほど この華奢で健気な小動物を求めているのか、それなしでは生きていけないと信じるほどに“氷河”が“瞬”を求めていることを、瞬は知っているのだ。






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