それにしても、なぜ瞬はそんなことを石像に向かって――しかも、貧相なモノしか持っていない石像に向かって――繰り返していたのか。
氷河はその点が気に掛かり――癪にも障って――瞬に問い質したのである。
答えにくそうに瞬が告げた彼の求愛の理由は、氷河の理解の領域を はるかに超えたものだった。
「……この像、氷河にそっくりなんだよ」
「嘘をつくな。そっくりも何も顔がないじゃないか。それに俺のはあんなにお粗末じゃない!」
この期に及んで なぜ瞬は そんな すぐに嘘とわかる嘘をつくのかと、氷河は少し気分を悪くしたのである。
たとえ瞬が世界征服を企んだとしても許してしまいかねない男に対して、そんな見え透いた嘘をつく必要はないではないか――と。

が、氷河の言葉に腹を立てたのは瞬も同様で――彼は肩を怒らせて氷河に噛みついてきた。
「そんなことじゃなくて! そこ以外は全部、氷河とおんなじなのっ! この像、腕も肩も胸も脚も、氷河の身体で型をとって作ったんじゃないかと思うくらい似てるんだよ! だから、僕は……!」
「……」
真っ赤になって言い募る瞬に、氷河はあっけにとられてしまったのである。
瞬がそんな無意味なことをしなければならない理由がどこにあるだろう。
“氷河”は瞬の側にいるのである。
『大好き。ずっと側にいて』
そんなセリフは本人に言えばいいことではないか。
それで、本人は小躍りして喜ぶというのに――。

あまりに意外すぎるその理由を聞いて言葉を失ってしまった氷河の作る沈黙の訳を、瞬は少々誤解したらしい。
上目使いに、言い訳がましく、瞬は言葉を継いできた。
「氷河、夜中に時々、空調は効いてて暑くも寒くもないはずなのに、毛布を脇に押しやるんだよ。僕、それを元に戻そうとして、その……つい見とれちゃって――あの……綺麗だから……」

顔の造作を褒められることには、氷河は慣れていた。
自分を醜い男と思ったこともない。
が、瞬に改めてそんな告白をされると、氷河はさすがに妙な こそばゆさを感じた。
無理に澄ました顔を作り、瞬に尋ねてみる。
「つまり俺は、夜中におまえに裸を観察されているわけか?」
「氷河が毛布を押しやっちゃうから、自然に見えちゃうんだよ!」
「怒ってるわけじゃない。それは俺もよくやるから」
「え?」
「ま、俺の場合は、俺の手で邪魔なものを取っ払って見るわけだが」

わざとらしい笑みを作ってそう告げる氷河の言葉が、嘘か本当かわからない。
もしかしたらそれは氷河が今 自分のために作ってくれた嘘かもしれないと思いつつ、もしそうなら彼の厚意をありがたく受けることにして、瞬は氷河に尋ね返した。
「へ……変なとこばっかり見てるんじゃないだろーね!」
「そこも見る。可愛くて好きだと言ったろう」
「ばかっ」

本当に、本気か冗談かわからない。
瞬は、真っ赤になって氷河を怒鳴りつけ、それからその顔を伏せた。
氷河は、そんな瞬の様子を見て、最初に『古代ギリシャの遺跡展』を見に行った日から10日ばかり続いていた不愉快を、綺麗さっぱり忘れることができたのである。
瞬の気に入りの理由がわかれば、それは可愛いだけのものだったし、となれば そうそう不機嫌でもいられない。
氷河は、つい数分前まで妬みだけを向けていた石像の上に視線を戻して、しみじみと――初めて まともに――その像を鑑賞してみた。

「これが俺の裸体像ね。おまえにそう言われると傑作のような気がしてくるな。何か物足りないが」
「物足りない?」
またその話かと、瞬は、一瞬 眉をひそめたのである。
瞬は改めて氷河に一言 物申そうとしたのだが、氷河が物足りなく感じていたのは、意外や その像の控えめな男性器のことではなかったらしい。
彼は、瞬が“一言”を口にする前に、
「おまえがいないじゃないか」
と、真顔で言ってのけた。

その言葉に虚を衝かれて、瞬はあっけにとられてしまったのである。
本気でその事実を不満に思っているらしい氷河に、羞恥と面映ゆさの混じった奇妙な感覚を覚える。
少々照れつつ、
「こんな氷河そっくりの像と一緒に僕の像まであったら、不思議を通り越して不気味だよ」
照れ隠し気味に、瞬はそう告げたのだが、氷河はそれすらも、
「不気味でも、俺の側におまえがいない不自然よりはいい」
と、きっぱり確言してのけた。

そして、氷河は――完全に不機嫌を忘れた氷河は――、今 ふたりの前に横たわる――もとい、立ちはだかる――問題の解決に、やっと本腰を入れて取り組みだしたのである。
「おまえが盗んできたのでないんなら、この像はどうしてここにあるんだ。本当に伝説の通りにおまえを追いかけてきたのなら、いくら俺にそっくりな像でも、俺はこいつを即座に叩き壊すぞ。朝起きたら、おまえが隣りで圧死しているというのは困る。大いに困る」
そんなみじめで悲惨な寝取られ方だけは、氷河はごめん被りたかった。
その悲惨を回避するためには、やはりこの像に 彼が本来いるべき場所に戻ってもらう必要がある。

「歴史的文化遺産相手にそんな乱暴しちゃ駄目だってば! たとえ歩いてきたのだとしても――」
言いかけた瞬の言葉が途切れる。
不思議なほど氷河に似ている石像ではあったが、この石像に歩くことができるはずはないのだ。
そんな二重の不思議はありえない。
「でも、いったいどうして――。ほんとに自力で動いてここまで来たわけじゃないだろうし……」
「自力で来たようなものよ」

戸惑う瞬と氷河の前に そう言って登場したのは、『古代ギリシャの遺跡展』の主催企業の実質的支配者、ギリシャ政府に豊富なコネクションを持ち、天文学的な金までを有している、彼等の女神その人だった。






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