「おまえを死なせるくらいなら、おまえを神への供物になれないものにしてやる」
「ヒョウガ……」
逃げなければならないと――この国からではなく、ヒョウガの手から逃げなければならないと――シュンは思ったのである。
もしこんなことが人に知れたならヒョウガの立場は危ういものになり、もし神の知るところとなったならば、ヒョウガの命さえ保証されるものではない。

シュンは、ヒョウガ自身とアテナイの国のために、彼の手を腕を振りほどこうとした。
そんなシュンに、ヒョウガは、民の命を預かる王としてではなく、彼自身の命の保持を図る一人の人間としてでもなく――恋する者の理屈を持ち出してシュンを責めてきたのである。
「そんなに俺が嫌いなのか。俺に抱かれるよりは死んだ方がましだとでも」
「ヒョウガ、そうじゃなくて――」
そんな聞き方は卑怯だと、否定することしかできないようなことを訊いてくるのは卑怯だと、シュンは心の内で叫んでいた。
シュンの心を知っているはずなのに、シュンを抱きしめるヒョウガの腕に更に力が込められる。

(ああ……!)
ヒョウガの腕の中で、シュンは、自分がどうすればいいのかが わからなくなってきてしまったのである。
ヒョウガに求められること それ自体が、シュンにとっては陶酔を誘うものだった。
シュンはヒョウガに逆らいたくなかった。
傍から見れば到底幸運とは言い難い境遇の中で、これまでシュンが心をねじけさせることなく生きてこれたのはヒョウガのおかげだった。
『親がないのは俺も同じだ。生きている者の価値はそんなことでは決まらない』
と、ヒョウガは幾度もシュンに言ってくれた。
『おまえは綺麗だ。花のように』
そう、彼はシュンに繰り返した。

ヒョウガにそう言われ、そうありたいと願い、だからシュンは その通りに生きてきた――ヒョウガが願う通りのものであろうと努めてきたのだ。
シュンは、ヒョウガの望むことはどんなことでも叶えてやりたかった。
自分自身は無力であるから――世界がヒョウガの望む通りになるようにと、いつも神に祈っていた。
だが、彼の望むことがこんなことだとは、シュンはこれまで ただの一度も考えたことがなかったのだ。

衣服を剥ぎ取られ、身体を寝台に横たえられる。
どうすればいいのかを迷っているうちに、ヒョウガの愛撫はシュンの身体を覆い尽くしていた。
シュンの身体は熱を持ち、ヒョウガに求められることの陶酔に支配され、自らの意思を放棄し始めていた。
相手は幼い頃から好きで好きでたまらなかった王。
理性や正義や倫理や人道が何を言おうと、シュンの心と身体はヒョウガに愛されることを歓んでいた。

ヒョウガがシュンの身体を開く。
そして、彼の猛ったものをシュンの身体の中心に当てがってくる。
シュンの身体はヒョウガの愛撫に酔い、その心はヒョウガの望みが叶うことだけを願っているというのに、その時、シュンの身体は恐怖のために萎縮した。
今、シュンを取り囲んでいるすべてのことが――神の存在も、アテナイの民が今はまだ生きていることも――すべてが、シュンにとっては恐怖を形作るものだった。

シュンの身体を萎縮させているものが何であるのかに思い至っていないかのように――シュンが恐れているのは未知の行為がもたらす結果にすぎないと思っているらしいヒョウガが、シュンの耳許に唇を寄せ、囁く。
「身体から力を抜け。そうすれば、俺たちは一つのものになれる」
「だ……め……!」
「俺がおまえにひどいことをするはずがないだろう。恐がるな」
ヒョウガは本気で、彼を慕い続けてきた者が彼の暴力を恐れているとでも思っているのだろうか。
シュンは必死に首を横に振った。
「恐く……ない。ヒョウガは恐くない。でも、ヒョウガがこんなことをしては駄目――」

ヒョウガにそんなことをさせてはいけないと思うのに、彼によって開かされた身体を閉じることができない。
固く目を閉じ 胸を大きく上下させながら、シュンは既に ヒョウガの心に神への畏怖を呼び起こすことを諦めてしまっていた。
彼はそれをするだろう。
彼が望む通りに。
そして、シュンが求める通りに。

――シュンの予感の通りのことが、次の瞬間に起こった。






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