「僕は――僕はただ、氷河が好きで……好きでたまらないから、少しでも氷河に幸せになってほしいと思っただけなんだ。守りたい人を守るために戦うっていうのが、いちばんいい理由だと思った。氷河がいちばん楽に――いちばん苦しまずに戦える理由だと思った」

本当は瞬にもわかっていた。
もし人が戦う理由がそれ・・で、そういう戦い方を正しいものとしてしまえば、この世界から戦いがなくなることは決してない。
戦いの消滅を心底から望むなら、人は、氷河が言う通り、そういう理由に逃げることなく、真正面から戦いと戦わなければならないのだ。

「だから、人は正義や利害のためじゃなく、守りたい人を守るために戦うんだってことにしてしまえば、氷河は戦いが終わらないことに悩む必要がなくなって、正義の意味を探して迷うようなこともなくなって――僕は氷河の心を守りたかっただけなんだ……」

しかし、人間というものは、人の心というものは、自分たちの住む世界から戦いをなくすことよりも、愛する人の幸福の方を より重いものと感じてしまうようにできている。
自分の目の前にいて、触れ合い 心を交わらせることのできる存在の方が、戦いの有無などより大事なのだ。人間には。

「ほんとは僕……僕、ほんとは――」
人の心が――自分の心が――ひどく我儘なものであることは、本当は瞬にもわかっていた。
「氷河が僕だけのものでなくなるなんて、そんなこと考えるだけでも すごくつらかったけど、たとえ氷河が誰を愛していても、氷河と一緒に死ぬのは僕なんだから、きっと我慢できるって――」
「それは残念だったな。俺はおまえと一緒に死ぬ気なんか、これっぽっちもない。俺たちは一緒に生きるんだ。少なくとも俺は、そのために死を覚悟して戦っている」

瞬が死を前提に戦いの理由と目的を考えていた時に、氷河は生だけを前提にして それを考えていた。
どちらが正しく、どちらがより現実的なのかは わからなかったが、どちらが“良い”のかは 瞬にもわかった。
瞬と瞬の大切な者たちは今 生きているのだ。

「戦いがなくなれば、こんな心配もしなくてよくなる。そういう世界を俺たちが作るんだ」
「うん……うん……」
生きている氷河にそう言ってさとされ、生きている瞬は幾度も彼に頷いた。

正義はどこにあり、人が戦いをやめられない真の理由は何なのか。
持って生まれたさがのように なくしてしまうことのできない戦いというものが、人の住む世界から完全に消えてしまう日は本当にやってくるのか――。

その日を共に生きて迎えるために、死と隣り合わせの戦いを戦い続けると決意した今でも、瞬にはその答えはわからなかった。
瞬にわかることはただ一つ。
人は守りたい人のために戦うのではなく、愛する人のために戦うのだということだけだった。
守りたい人を守って死ぬためではなく、愛する人と共に幸福に生きるため、そうすることが可能な世界を作るために――人は、生きるために戦うのだ。

「ごめんなさい」
氷河のことを考えているつもりで、その実 氷河の意思と心を完全に無視していたことを認め、瞬は彼に謝罪した。
愛されることに慣れきって、自分がどれほど愛されているのかということにも気付かずにいた鈍い男が、瞬の瞳を潤ませているものを目にとめ、急いで笑顔を作る。

「だいたい、おまえ、俺なしで寝られるのか、夜。つまらん企てに乗る時には、それが実現可能なことなのかどうかを ちゃんと考えてからにすることだな」
「……氷河のためなら、僕、それくらい耐えられると――」
氷河が瞬の涙を乾かすためのジョークのつもりで持ち出した話を真面目に受けて、瞬がその瞳につらそうな色を浮かべる。
氷河は慌てて瞬の言葉を遮った。
「おまえなしだと、俺が寝れないんだ。人間は1週間眠らないと余裕で死ねるそうだぞ。おまえは俺を殺す気か」

氷河が、その拳を、からかうように瞬の頬に押しあててくる。
得手勝手な愛情を押しつけようとした愚かな恋人を、氷河は許してくれているのだから、許された者は笑わなければならない。
そう悟って、瞬は、まだ少々ぎこちなさは残っていたが、その目と口許に笑みのようなものを作った。
「氷河がそんなことで死んじゃうのはいやだ」
「だろう」
そうして、明るい空の色をした氷河の瞳を見詰めているうちに、やがて瞬の微笑は自然なものになっていったのである。






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