「クトゥルフ神話って何なんだよ、つまり」 ギリシャ神話もろくに知らずにアテナの聖闘士を務めている星矢が、他の世界の神々のことなど知るはずもない。 まして、一部の好事家の間では有名だが、広く人口に その言葉を聞いた時、耳慣れない神話の名に、星矢は当然のごとくに首をかしげた。 「1920年代に 米国のハワード・フィリップス・ラヴクラフトが発表した 「パロディかよ。それって、いわゆる二次創作ってやつ?」 クトゥルフ神話は知らなくても、星矢は その職業柄(?)、日本が世界に誇るYAOI文化は知っていた。 そんな星矢に、紫龍がどこか哀愁を帯びた苦笑を向ける。 「ギリシャ神話や北欧神話をモチーフにして創作された作品をパロディと呼ぶのなら、ラヴクラフト信者たちの作品も確かにパロディだろうな。明るいところのほとんどない恐怖小説ばかりだが」 そのホラー小説とやらを、紫龍は何冊かは読んだことがあるらしい。 YAOIを知る仲間に向けた笑みの哀愁を打ち消して、彼は今度は明白に憂鬱な顔になった。 「簡単に地球や人類を滅ぼしてしまえるような神だの化け物だのがうようよ出てくる話だ。あれを読んでいると、人類が生きていること自体が奇跡に思える。まあ、あの神話では最終的に地球は破滅するわけだが」 「……」 要するに、クトゥルフ神話なるものは、恐い上に救いのない話ということである。 地球と人類を守るために命を賭けて闘っているアテナの聖闘士としては、たとえ紙の上での物語といっても、あまり愉快な代物ではない。 紫龍の説明を聞いて、星矢は顔をしかめた。 クトゥルフ神話の内容に――というよりは、そんな物語を好んで書き、また好んで読む人間に対して。 そういう人間が、自分の仲間内に存在することに。 「で、なんで瞬がそんなもんに夢中になってるんだよ。全然らしくないじゃないか」 つまり、瞬が、ハーデスとの闘いが終わってからこっち、突然その恐怖小説とやらに興味を持ち始め、国内外のクトゥルフ神話関連の本を読みあさりだしたのである。 その姿と心を 暖かい季節に咲く花になぞられることもあるアンドロメダ座の聖闘士が、荒唐無稽なSFホラー小説を、笑い飛ばすのならともかく、毎日沈鬱な表情で耽溺している。 星矢には、その様が“異様”としか思えなかったのだ。 「それは俺も同感だな」 紫龍が、星矢に浅く頷く。 それが勝手なイメージの押しつけだということはわかっていたのだが、紫龍は瞬には 人生の意味が明るく語られている絵本でも読んでいてほしかったのだ。 「闘いが続いて疲れてんのかな。それなら気楽に読める冒険活劇でも読めばいいのに」 世の中には 破滅を好む人間や恐怖に惹かれる人間がいることを知らないではない。 それでも星矢は、今 瞬が読んでいる一連の作品が 瞬の好みであるとは思えなかった。 そもそも恐怖小説などというものは、夢と希望を売りにしているアテナの聖闘士に向いた書物ではない。 聞けば、クトゥルフ神話には、人類の存在など歯牙にもかけず、恐怖と破壊をしかもたらさない異形の神々だの、偶然接触を持ってしまった人間を ことごとく狂人にしてしまうような古き神々だのがいて、彼等は その気になれば地球の一つや二つは 容易かつ瞬時に滅ぼしてしまう力を持っているのだという。 地球や人類に興味がないから それをしないだけ――とは、人類にとっては実にありがたい話であるが、万一彼等が気まぐれを起こしてしまったら地球はどうなるのだ。 クトゥルフ神話関連の物語は、そんなふうな不気味な不安が満ちているものばかりらしい。 他にも、人類以前に地球を支配していた強大な魔力を持つ異形の化け物だの、彼等に仕える奉仕種族だの、闇に潜む化け物たちが腐るほどいて、彼等は虎視眈々と地球の覇権の奪還を狙っているのだそうだった。 暗黒の闇の中で陰鬱に人類の破滅を企む化け物たち。 それらのものに比べ、堂々と人類淘汰の宣言をしてアテナと彼女の聖闘士たちに敵対してきた彼等の敵の、なんと明るく健全なことか。 黄金聖闘士たち、アスガルドのヒルダ、海王ポセイドン、太陽神アベルなど、“明るい”を通り超して華やかですらあった。 星矢は突然、かつての彼の敵たちに、尋常でない親近感を覚えることになってしまったのである。 |