瞬はラウンジを出ていく時、自分の手で部屋のドアを開けることをしなかった。 ドアは開いていたのである。 瞬はひどく取り乱していて、そのドアを開けた者たちの姿に気付くことはなかったが。 星矢と紫龍がそこに立っていた。 星矢はその手に、『トム・ソーヤ』と『宝島』を持っている。 それらは、どう考えても城戸邸の図書室にあるような本ではなく、どうやら星矢は瞬のために“健康的な”な本を わざわざ書店にまで買い求めに行ったものらしい。 紫龍もその買い物に付き合ったのだろう。 「すまん。聞いてしまった」 その紫龍が、少し気まずそうな顔をして氷河に告げる。 「いや」 軽く首を横に振ってから、氷河は微かに苦笑した。 これまで氷河は 自分の瞬への好意を隠そうとしたことはなかったし、周囲の者たちに確かめたことはなかったが、それはどうせ周知のことだったに違いないのだ。 ゆえに、氷河が苦笑したのは、瞬への告白を第三者に聞かれてしまったせいではなく、星矢が手にしている、世界的に有名な2冊の冒険小説のせいだった。 瞬のために、瞬への好意から、星矢が選んできたのであろう 2冊の本。 人の好意が必ずしも優しい結果だけを生むとは限らない現実に、氷河は苦笑するしかなかったのである。 「その2冊、子供向けに簡略化されたものならともかく、全訳は結構皮肉な視点で書かれた話だぞ。瞬が恐がる」 「なんで恐いんだ? 瞬の奴、本当に恐がってるように見えたぞ」 星矢は既に、彼が瞬のためにわざわざ買ってきたものの存在を忘れてしまっているらしい。 彼が氷河に尋ねてきたのは、『トムソーヤ』の恐さではなく、氷河の告白を瞬が恐れる理由の方だった。 星矢の疑念は当然のものだったろう。 たとえ氷河の告白の真剣さに、自身の貞操の危機を覚えたのだとしても、それが瞬にとって脅威であるはずがないのだから。 瞬はアテナの聖闘士である。 彼は、自らに危害を加えようとする者を撃退する力を有している。 アンドロメダ座の聖闘士がその力を持っている事実を氷河が承知していることも――つまりは氷河が瞬に乱暴を働くことはないという事実も――瞬は知っているはずだった。 瞬が氷河を恐れる理由など、どこにもないのだ。 しかし、瞬は氷河を恐れ、氷河の前から逃げ出した――。 「恐いだろうな。俺は一応 化け物じゃなく人間だ。得体の知れない神でもない。俺は、瞬と同じ言葉を話せるし、好きだという気持ちを伝えることもできる。俺は、その気になれば瞬にも理解できるモノだ」 「……?」 氷河が化け物でないこと、言葉が通じ 理解し合える存在であること。 そんなことを、瞬は恐れていたというのだろうか? 星矢には、氷河の言葉の意味がまるでわからなかった。 そして、自分には理解不能・意味不明なことを真面目な顔で口にする氷河を、星矢は、十分に得体が知れない男だと思ったのである。 |