「俺が恐いか。俺はおまえを好きだぞ」
光の中に立つ氷河が(それでも彼は光そのものではない)、再度 瞬に告げる。
「俺は俺の愛し方でしかおまえを愛せないし、それは多分おまえの望む通りの愛し方と完全には合致しない」
「氷河……」

完全にわかり合うことのできない人間は、中途半端に理解できてしまうからこそ、クトゥルフ神話の神々などより はるかに恐ろしいものなのかもしれない。
しかし、そういうものであるはずの氷河が 仲間を見詰める眼差しは、光そのものより、闇そのものより深く優しい何かをたたえている――ように見える。瞬には、そう見えた。

「おまえが生きて戦わなければならない世界も恐ろしい場所だ。そこでは光と闇が渾然一体となっていて、そんな世界に我が身を置いて光の射す方だけを見ようとすることは、暗闇を見詰めることよりずっと つらくて困難で、だが それでも俺たちは――俺は――おまえは――」
光をこそ、見詰めようとすべきなのだ――。

瞬は、氷河の言葉を遮るように頷いた。
闇がくれるものは虚しい安らぎだけなのだと、もう瞬にはわかっていた。
だが、氷河や彼の仲間たちは違うのだ。

「恐いけど……恐いだけじゃないような気がする。氷河はきっと僕に、恐怖とは違う、何かもっと明るいものをくれる――ような気がする」
この世界そのものも そういうものなのだろう。
「おまえに笑っていてもらうためなら、俺はどんな道化にもなってやるし、どんな望みでも叶えてやるぞ。それが馬鹿げた望みでない限り」

好きだからといって――そんなことで、人と人は理解し合えるものではない。
むしろ好きになってしまったからこそ、人はその相手に失望を覚えるのかもしれないし、裏切られたり裏切ったりすることもあるのかもしれない。
だが、好きだという気持ちがあれば、理解し合おうと努力することはできるだろう。
その努力を続けることが愛というもので、人が生きるということである。
そして、それは光の中で行なわれるべきことなのだ。
強くあろうとする人間は、闇ではなく光を見ようとする。
――瞬の仲間たちのように。

おそらくは、闇を見詰める人間も、結局のところ、求めているものは光なのだろう。
光を求めるあまり、崇めるほどに求めるあまり、その眩しさに目が眩み、彼等は闇の中に逃げようとしたのかもしれない。
かのラヴクラフトも。

「僕にできるのかな、もう一度 光を見ようとすること」
「俺たちは希望の闘士というものらしいぞ」
「うん……」
希望を失わなかったから、聖闘士になることもできたのだ。
希望に支えられて生き延び、兄と再会し、こうして仲間を得ることもできた。
そして、同じ光を見詰めている人に 恋をすることもできる。

瞬は、光に抱きしめてほしいと思った。
そうして勇気を分け与えてもらい、希望のある場所を指し示してほしいと願った。
言葉にしなくても、もちろん、瞬の光は 瞬の望みを叶えてくれたのである。






【next】