頭上で、山の向こうの平野にまで鳴き声を響かせているのは、どうやらコマドリらしい。 自分がなぜこんなところにいるのか、氷河にはまるでわかっていなかった。 彼は、もうすぐ冬になろうとしている日本にいるつもりだったのだ。 少なくとも昨日までは、確かに彼はそういう場所にいた。 だが、今 彼の周囲にあるものは、緑したたる夏の木々だった。 強い陽射しが緑の濃さを増していて、どこからか水の流れる音が聞こえてくる。 氷河は、あまり高くはない山の麓近くに立っているようだった。 彼の足元に 山の上と下に続く道はあるが、それは舗装されていない。 彼が立っているのは、多くの人間の足によって踏み固められ作られた自然の道の上だった。 空気が異様に澄んでいる。 澄んでいるのに濃密な自然の匂いを含んだ空気が、氷河の全身を包んでいた。 木々の向こうには広い谷があり、そこには水田らしきものが作られているようだった。 方形に整備されていない田である。 以前、世界遺産の白神山地のブナの林の映像を見たことがあるが、氷河の背後にある山が抱える木々はその様に似ていた。 そして、氷河の前方に僅かに見える形の整っていない水田は、昔時代劇で見た水田に似ていた。 検地を逃れて、ひっそりと 自分はなぜこんなところにいるのか――と訝りつつ、明るい方へと歩を進める。 5分も歩くと急に視界が開け、断片だけが見えていた水田の全貌が、氷河の目の中に飛び込んできた。 不揃いの形をした緑色の絨毯が幾枚も並べられているような 夏の水田。 この光景を何にたとえればいいのか――。 しいて言うなら、それは、日本の昔話に出てくる農村の風景だった。 田の上には青い空があり、厚みのある夏雲が幾重にも重なっている。 夏の陽光の照り返しのせいもあって、雲は驚くほどに白い色をしていた。 (雲……) その雲の様を見て、氷河は、昨日のことを思い出したのである。 |