「治水の方法を考えてるのか」 ヤマタノオロチの正体は、つまり この男が鎮めようとしている河川の氾濫――だったのだろう。 存外につまらない落ちだと思いつつ、氷河はスサノオに声をかけた。 近くで見ると、なるほど のっぺりした顔をしている。 この世界の主人公の顔は、氷河を神と呼んだ農夫たちの 強い陽射しが皺を深くしたような顔とは、全く異なる人種のそれにも思えるような造作をしていた。 これがいわゆる日本の貴族顔というものかと、氷河はスサノオの顔を見て、思うともなく思ったのである。 女には好かれ、男には煙たがられる顔――なのかもしれない。 たとえば、200年以上の長きに渡った鎖国を解いたばかりの日本で、白い肌、金や茶色の髪、青や緑の目をした異国人たちに初めて出会った日本人たちは、彼等を美しいと感じたのか不気味と思ったのか。 異なる文化の担い手たちの出会いが、今 この古代日本の里でも為されているのである。 そして、 「無理だと思っているのか」 答えを返してこないスサノオに、重ねて尋ねる。 彼は初めてちらりと氷河の上に視線を投げてきた。 だが、それだけだった。 恋する男には、神とも見紛う人物の登場に驚く余裕もないらしい。 今の彼には、恋するクシナダ姫の他には特別な存在はないのだ。 そして、その一事で、氷河は彼に親しみを覚えることになったのである。 氷河の胸中が彼に見えたわけではないのだろうが、やがて彼は、その沈黙を破り、呟くような声で氷河に告げた。 「そうではない。ただ、そうする意味があるのかと迷っている」 「お姫様を貰い受けたいんだろう?」 「そうだ。そのはずだったのに――」 スサノオの呟きが、呻吟めいたものに変わる。 彼はどうやら、この場所で川の治水の方法を思い悩んでいたのではないらしかった。 「そのクシナダが、私の知るクシナダではなくなってしまったのだ。私はクシナダを手に入れるためなら、どんな労苦も惜しまないつもりだった。しかし、そのクシナダが私のクシナダでなくなってしまっては……」 (瞬だ!) 根拠はない。 それは氷河の直感だった。 スサノオの恋するクシナダがクシナダではなくなってしまった。 それはつまり、クシナダ姫を変えてしまう何らかの異変が この世界に起きたということである。 その異変が、本来はこの世界の住人でない瞬がクシナダ姫に関わることによって引き起こされたのでないとしたら、他に人を変えてしまうどんな原因があるだろう。 「俺は、こことは違う世界からやってきた神だ。おまえのクシナダを元のクシナダに戻してやる。俺を瞬のいるところに――いや、クシナダのいるところに案内しろ」 気負い込んで、氷河はスサノオに命じた。 スサノオが初めて、落胆以外の感情を、その黒い瞳に映し出す。 『俺は神だ』という氷河の言葉を、彼が信じたのかどうかはわからない。 しかし、スサノオは、ヤマタノオロチの正体であるところの斐伊川の流れから目を逸らすと、氷河に共に来るように告げて、川上に向かってゆっくりと歩き始めた。 彼もまた、恋する者の直感で、氷河の指図に従うことが自分に益をもたらすと感じたのかもしれなかった。 ヤマタノオロチの正体であるところの斐伊川の流れから目を逸らし、彼は川上に向かって歩き始めた。 |