砂漠の太陽は、なかなか空の中心から動こうとしない。
明るい日中の沈黙には狂気を誘うような空気があって、それを恐れたわけではないのだろうが、やがてノシの王子様は別の会話を求めるように、氷河に尋ねてきた。
「で、あなたの恋人は美人なんですか」

ノシの王子様と(おそらく)ほとんど同じ気持ちで、この沈黙を消し去りたいと思っていた氷河は、短く安堵の息をついてから、彼に頷き返した。
「美人というのとはちょっと違うが、とても綺麗な人間だ。俺は、瞬以上に綺麗な人間を知らない。誰にでも優しいし、細やかな気配りができて、人を嫌うことがない。裏表はないし――少し泣き虫なんだが、そこもいい」

「誰にでも優しいとは、切ないことですね」
生意気なノシが、また生意気な口をきく。
その生意気さを、氷河はそろそろ好ましいものに感じ始めていた。
なにより、ノシの王子様が指摘したことは、氷河自身が過去に通過してきた考え方だったのだ。

「俺も昔はそう思っていた。誰にでも同じ心を向けて、同じ時間を費やして、瞬には特別な人間はいないのかと」
『思っていた』どころではなく、氷河は、瞬のそういう性癖を憎んでさえいたのである。
なにしろ、瞬にとって特別な人間になるということは、氷河の悲願だったのだ。
自分にとって特別な人間が、自分を大勢の中の一人としてしか見ていないと思わざるを得ない状況は、氷河でなくても誰にとっても、あまり愉快な事態ではない。

「今は違うんですか」
「同じではないことがわかってきたな。俺に対する時と他の誰かに対する時で、瞬が口にする言葉は同じだし、その行動も大して違わない。瞬の心は、俺に対しても俺以外の人間に対しても『優しい』としか表現しようのないもので――だが、何もかも同じというわけじゃない。注意していないと気付かないくらいの違いなんだが、俺に向けられる時、瞬の心には少し甘えているところがあって、俺はそれが嬉しい」
「へえ」

「瞬はすべての人に、それぞれに優しい気持ちを抱ける人間で、すべての人間を特別と思うことのできる人間だ。俺はといえば、人間を『瞬』と『瞬以外』の2種類にしか分類しかできない不器用な男で――不器用すぎるから、瞬はそれを心配してくれているのかもしれないな。俺にとって瞬は唯一特別な人間だが、瞬にとっても俺は少しだけ特別な人間で、俺はそのことに気付くまで、かなり時間がかかった」
だから氷河は、瞬に好きだと言うことができずに長い時間を過ごした。
束ねられた稲の中の1本に好きだと言われても、瞬は訳がわからずに戸惑うだけだろうと思っていたから。
だが、事実はそうではなかった。

そうではなかったのだから、もっと早くに瞬に気持ちを伝えていれば、自分は正気のまま、瞬ともっと長い時間を過ごせていたはずだったのに――。
それが氷河の後悔だった。
だが、その迷いの時間を経過していなければ、瞬を理解しきれていない男の恋は、もっと我儘で独りよがりなものになってしまっていただろう――とも思う。
仕方がなかったのだと、氷河は、今ならば思うことができた。






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