「あなたはあなたの人生を諦めたわけじゃなく、瞬さんの幸福を願っているだけなんですね」
生意気なノシが、生意気なのか素直なのかの判断に苦しむ呟きを呟き、頭(おそらく頭だろう)を僅かに右に傾ける。
氷河には、彼が切なげに微笑しているように見えた。

「人間が羨ましい。僕たちに与えられている恋の機会は、贈り物を贈る時と受け取ってもらう時だけです。最近は贈答品を宅配便で送る人が増えて、その時間はますます短くなってきている。そうして、やっと相手の人に受け取ってもらうことができたと思ったら、僕たちは即座にゴミ箱行き。それでノシの恋と人生は終わりです」

ノシの王子様は、ノシの人生の儚さを嫌になるほど自覚している。
『ノシこそが贈り物の本質なのに!』という彼の主張は、ノシの王子様の思いあがりなどではなく、彼の精一杯のプライドであり、悲痛な叫びだったのだろう。
永遠の命を持つ神の前に立った時、人間も同じように悲痛な思いを抱くのかもしれない。
与えられる時間の不平等に、己れの無力と無価値を感じて。
だが、それがノシに与えられた時間であり、人間に与えられた時間なのだ。
その時間を、ノシも人間も懸命に生きるしかない。

「僕は、その2回を済ませて、僕の人生が終わるのが恐くて、伊勢越デパートのお中元コーナーのカウンターから逃げてきたんです。自分の務めを放棄して――」
氷河も知っている有名百貨店の名を、ノシの王子様は口にした。
それが、正気だった頃に氷河がいた世界のデパートと同じものなのかどうかは わからなかったが、『全国の百貨店に先駆けて、伊勢越デパート、早くも中元商戦スタート』のニュースを、氷河はごく最近どこかで見た記憶があった。
そこが、ノシの王子様の故郷の星らしい。

「だが、それじゃ おまえは、何もしないで終わることになるだろう。その2回だけの恋のチャンスに出合うこともなく」
ノシの王子様は、生意気なだけでなく賢明でもあった。
彼は、氷河の言葉に素直に頷いた。
「そうですね……。僕は、あそこに帰ろうと思います。もう2週間も、こんな砂漠をふらふらし続けていた。僕はもうノシとして使ってもらうことはできないかもしれませんが……」

最初に氷河に捕まえかけられた時に、ノシの王子様の右上部は僅かに千切れてしまっていた。
ノシの王子様はそれを気にしているらしい。
氷河は、自分の粗暴を今になって悔やむことになったのである。
だが、ノシの王子様は、氷河を恨む素振りは見せなかった。
責める代わりに、氷河に尋ねてくる。

「あなたはどうします」
「……俺は気が狂っているんだろうか」
氷河も、ノシの王子様を責める意図は全くなく、彼に問い返した。
自分の狂気が本物だったとしても、それはノシの王子様のせいではない。

「狂っているかどうかはともかく、あなたの瞬さんはあなたの帰りを待っているんじゃないでしょうか。心配していると思いますけど」
「そうだな……」
申し訳程度に逡巡する素振りを見せながら、氷河の心は既に決まっていた。
狂っているなら狂っているで、そんな俺でも構わないかと瞬に聞いてみよう――と。

『俺は、おまえの特別に特別な人間になりたい』
と告げた時、
『氷河は僕の特別に特別な人だよ』
と答えてくれた時のように、瞬はそれでもいいと言ってくれるかもしれない。
“終わり”を恐れて“終わり”から逃げていたら、瞬をいつまでも気が狂った男に縛りつけておくことにもなりかねないのだ。






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