人を恋ふる歌

〜 愁風希さんに捧ぐ 〜







氷河が誰かに恋をしていることに、僕は気付いていた。
そのことに気付いたのはいつだったのか、僕ははっきりとは思い出せないけど、僕には恋をしていない時の氷河の姿を思い描くことができないから、相当早い時期――もしかしたら、僕がアンドロメダの聖衣を持って日本に帰り、彼に再会した時にはもう――氷河はその宿命的な恋に落ちてしまっていたのかもしれない。

宿命的な恋――。
そう、氷河の恋は、傍目に見ているだけでも、彼が彼の恋人と一緒にいる姿を見たことがなくても、彼自身がその恋に言及することがなくても、その思いの深さと激しさを容易に感じ取れるような恋だった。

だから、僕は最初から僕の恋を諦めていた。
氷河に恋されたいなんて高望みはせず、氷河とは仲間のまま、友達のままでいられればいい――と。
それだけの望みでも、僕には僕の望みが随分と分不相応で欲張りなものに思えた。
氷河がその人を思う心は情熱的で激情的で、どうかすると友達のことすら忘れてしまいそうほど決定的なものに見えたから。
氷河は本当は、彼を取り巻くありとあらゆるものを捨て、その人だけを見詰めていたいと願っているように、僕には見えたから。

それに、何といっても僕は氷河と同性で、同性である彼を好きになってしまった僕はどこかが狂った人間なんだろうし、こんな僕が自分の気持ちを氷河に告げたら、それは彼を困らせることにしかならないだろう。
だから、友達としてでも彼の側にいられるのなら、それは僕みたいな人間には十二分に恵まれた幸運なのだと、僕は思った。
氷河が恋しているその人に、氷河をすっかり取られてしまうくらいなら、せめて友達としてでも側にいたい。
それが僕の願いだった。

そんなふうに望みのない恋をしている僕には、終わらない戦いや、僕たちの命と僕たちの生きる世界を奪おうとする敵ですら 優しいものに思えた。
彼等がいるおかげで、氷河はかろうじて恋のためにすべてを捨てずにいる。
氷河は戦いの時だけはその人のことを忘れ、僕と一緒に僕の仲間として、僕と並んで闘ってくれる。
僕と同じ場所で、僕と同じ時間を生きてくれるんだ。

氷河の恋人――。
それはいったいどんな人なんだろうと、僕は幾度も考えた。
氷河の心を占めている、その幸せな人のことを。
その人に会いたいとか、その人のことを知りたいとかいう気持ちは全くなかったし、僕はその人のことを氷河に尋ねたこともなかったけど、ただ、どういう人ならあれほどに強く氷河の心を捉えることができるのだろうという、憧憬に似た興味はあった。

その人はとても魅力的な人なんだろう。
氷河の傷付いた心を抱きしめ、慰め、癒してくれる、無限に優しい人。
もちろん とても美しくて、長い間 会わずにいても、その心が(少なくとも氷河の心は)不安に揺らぐことがないほど、二人は強い絆で結ばれている。

氷河にはそんな人がいるんだから、僕は、友達として仲間として彼と共にいられるだけでも、その姿を見ていられるだけでも、幸運だと思わなくちゃいけない。
そんな恋でも、僕なんかがする恋としては上出来なんだと思わなくちゃならない。
僕は自分に何度もそう言いきかせた。

時々は――氷河以外の、もっと別の人を好きになれていたら、こんなに切ない思いをせずに済んだのに――と思うことがないでもなかった。
でも、アテナの聖闘士はいつ戦いで命を落としてしまうかわからない。
そんな人間には、こういう恋がちょうどいいのだとも思える。
決して叶わぬ恋。決して実らぬ恋。形を成さず、誰にも知られず、誰にも祝福されることのない恋――。

へたに普通の恋人同士みたいに、二人の心が通い合っていて、二人の恋を誰もが知っていて、見守ってくれていて、二人の幸福を願ってくれていたりしたら――そんな恋は、ある日突然僕が命を落とした時、多くの人を不幸にするだろう。
そんなのは、僕も悲しい。
だから、見ているだけの恋がいい。
傍目には友達同士にしか見えない二人でいるのがいい。
氷河が僕を仲間の一人だと、友達の一人だと思ってくれていれば、それでいいんだ――。
僕は毎日、自分にそう言いきかせた。

僕が氷河を好きになったのは、氷河が誰かに熱烈な恋をしているせいだったかもしれない――という気持ちも僕の中にはあった。
僕と氷河は、命を懸けた戦いを共に戦う仲間で、幼い頃のある時期を共に過ごした幼馴染みで、二人の位置関係は永遠にそのまま、そこから動くことはない。
そこから先に進むことはないし、進む先もない。
当然、その恋が破れることもないから、僕は安心していられる。
それは、あまり冒険心のない僕にはぴったりの恋だ。

それに――恋をしている人は美しいよね。
いつもその瞳が、何かを夢見るように、何かに憧れるように輝いている。
氷河のあの瞳に見詰められる人は よほど強くないと、きっと数秒で骨ごと溶かされてしまうに違いないと、僕は確信していた。
僕は強くないから、あの瞳に見詰められることには、きっと耐えられないと思う。
だから、僕には、誰かを恋している氷河の瞳を、彼に気付かれぬよう、彼から少し離れた場所で見詰めていられるくらいがちょうどいい。

こっそり、誰にも知られず、誰かを恋し続けている氷河を恋し続ける。
僕の恋はそんなものでいいんだと、僕は思っていたんだ。






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