「氷河は、氷河が今まで恋し続けていたあの人のことを、忘れてしまえるの?」
瞬にそう問われた時、俺は自分が何を言われたのかわからなかった。
俺は、自分が誰かを好きでいると意識したのは 瞬が初めてだったし、それ以前に誰かを恋していたこともない。
だが瞬は、俺が誰かに熱烈に恋し続けていたと信じているようだった。
――いったい誰にだ?

俺は、俺の心を誰かに委ねたことはない。
そうなることを願ったこともない。
誰かを自分のものにしたいと考えたこともない。
そんな思いを抱くのは、何もかも瞬が初めてだ。
そんな思いを俺の胸に生じさせたのは、瞬が初めてだ。
俺のものにしたいと思ったのも、自分以外の誰かに俺の心を受け入れてほしいと願ったのも。
もちろん、誰かに恋された覚えもない。

それはそうだろう。
恋というものは、生きている者同士が感じる思いだ。
俺はもうずっと長いこと、瞬に生まれ変わらせてもらうまで、肉体だけは生きていたが、心は死んでいるも同然だったんだから。
マーマを――俺を誰よりも愛してくれていた人を、俺をどこまでも許してくれるただ一人の人を、俺が愛し愛されていると何の疑いもなく信じていられたただ一人の人を――失った その時から。

自分が誰にも愛されていないと思わざるを得ない日々が、俺を愛してくれる人は誰もいないと確信できる日々が、どれほど空虚なものだったか。
懸命に生きている振りをし、愛してくれる人がいないことに気付いていない振りをし、生きる目的がある振りをし続ける日々が、どんなに苦しいものだったか。
なぜ自分はこんなに必死になって生きている振りを続けているのかと疑いながら生き続けることの、無意味と馬鹿馬鹿しさと詰まらなさ。

だが、俺は生きていなければならなかった。
でなければ、俺が生まれ生きて存在することだけでなく、俺を生かすために死んでいったマーマの命が無意味なものになる。
そんなことにはできない。
そんなことだけはあってはならない。

俺は嘘でもいいから生き続け、人生が充実している振りをし、幸福な振りを続けなければならなかった。
生きてなどいたくなかったのに。
生きていることに意味などないと思っていたのに。

愛してくれていた人を失い、愛している人のいない生。
そんなものにどんな意味があるだろう。
俺は懸命に生きる振りを続けながら、その実、“死”に恋い焦がれていた。
俺の命を守るため、俺を生かすために死んでいった人の心を思うと、それは決して許されない恋だったろう。
“死”に恋しているなんて、誰にも言えない。
必死に生き闘っている仲間たちにはもちろん、今は俺の恋するものの手の内にいる亡き人にも、俺はその心を隠し通さなければならなかった。

だが、その存在の何と魅惑的なことか。
肉体の苦しみも、誰にも愛されていないことを確信できるつらさも、誰も愛していない寂しさも、死の腕の中でなら、俺はすべて忘れることができるだろう。
死の腕の中には安らぎだけがある。
愛されたいとか、愛したいとか、そういう欲も、死の世界では生まれないだろう。
そんなふうに静かで穏やかな世界で、俺は、何にも傷付くことなく、何かを悲しむこともなく、永遠の安らぎだけを得ることができるんだ――。
そんな思いを抱いて、俺は生き続けていた。






【next】