シュンが面倒見のいい明るい少年だというセイヤの主張を、ヒョウガはいつまで経っても認めることができなかった。 なるほど成績はいいらしく、彼の書くレポートや作文は いつも教師たちに称賛されていた。 運動神経が優れているというのも事実で、ヒョウガやシリュウが下級生たちを指導する時にはいつも、セイヤより洗練されたシュンのプレイを手本にしろと示さざるを得なかった。 いつも伏せられている顔を盗み見ると、その造作は確かに見事な出来。 ありとあらゆることに秀でているというのに、だがシュンは暗い――のだ。 成績を褒められても、クリケットやフットボールの試合で勝利に多大な貢献をしても、シュンは決して笑うことをしなかった。 「あれは本当におまえの友だちか !? いつも陰気に俯いてて、あの顔を見ていると、こっちまで気が滅入ってくる」 シュンの転入以来、ヒョウガは一日に一回はセイヤに向かって毒づく毎日を過ごすことになった。 「いつも俯いているのに、どうやって顔を見るんだ」 シリュウが横から挟んでくる茶々に、気の利いた皮肉を返す気にもならない。 シュンが一度でも、無理にでも、新しい学友のために笑みを作ろうと努力する様を見ることがあったなら、ヒョウガはシュンを健気な少年だと思うこともあったかもしれない。 しかし、シュンは、そうすることが自分の義務だとでも言うかのように、いつもいつまでも その顔を伏せているのだった。 「どうして おまえはそう暗いんだ! いつまで俯いてるつもりなんだ! いい加減、顔をあげろ!」 シュン当人に向かってヒョウガの怒りが爆発したのは、シュンの転入から1ヶ月後。 彼を不機嫌にしているのは自分だという自覚はあったらしく、シュンは彼の乱暴な怒声に反論するようなことはしなかった。 それは、セイヤとシリュウも同様で、彼等はシュンを頭ごなしに怒鳴り責め立てるヒョウガに『もう少し声のボリュームを下げろ』と目で示しただけだった。 その言い方はともかくも、二人はヒョウガと意見を同じくしていたのだ。 シュンはそろそろと顔をあげて前を見るべきだ――と。 そうまで言われても顔を伏せたままで、シュンが小さな声で答える。 「僕……あの、うぬぼれているなんて思わないでください。ご存じなんでしょう? 前の学校でのこと。僕はいろんな人に、この女みたいな顔が あの事件を引き起こしたのだと言われました。だから それは僕に責任のあることじゃないって、みんなが言ってくれた。でも、だったら、あれはいったい誰のせい――何のせいだったんです」 美しい女は男を堕落させるものであるから、女が己が身を飾ることには道徳的に問題がある――というのが、英国の一般社会に蔓延している考え方である。 英国では、人を惑わす美は罪だった。 シュンは、その間違った道徳を鵜呑みにしている――させられている――らしい。 シュンの考え方はそれこそ馬鹿げている――と、ヒョウガは思った。 本当に馬鹿げている、と。 「顔が綺麗なだけの相手のために、計算高い英国紳士予備軍が、一時の熱情に負けて自分の将来を棒に振るか。常識で考えろ!」 他に何かあったに決まっているのだ。 セイヤがあれほど庇うだけの何かを シュンはその身に備えていて、その何かのために二人のエリートは彼等の将来を棒に振った。 ヒョウガの苛立ちはもしかしたら、その“何か”がわからないせいだったのかもしれない。 ヒョウガはとにかく、シュンの卑屈な様子が苛立たしくてならなかった。 「でも……」 では、何が悪かったのか。誰が悪かったのか――。 その答えを得、罪を贖うことができるのなら、シュンはそれがどんなことでもしたかった。 それで、存在自体が罪悪だと人に思われ、自分でもそう思うしかないしかない現状から逃れることができるのなら、シュンは何でもしたかった――するつもりだった。 そしてシュンは、その答えをヒョウガが与えてくれるのかと期待したのである。 だが、ヒョウガは、シュンの望むものをシュンに与えてはくれなかった。 彼は、そうする代わりに、災禍が起きたこと自体を否定したのである。 「その二人は――後悔していないと思うぞ。おまえを恨んでもいない。もし二人が自分のしでかしたことを後悔し、おまえを恨んでいるのなら、そいつらは おまえより自分の将来と世間体の方を大事に思っている男たちだということになるんだから、おまえがそいつらを気に掛けてやる必要はない。自分に責任のないことに責任を感じて、おまえは自分の人生まで棒に振る気か、馬鹿馬鹿しい。いいか、二人は後悔なんかしていないんだ! 傷付いた者など誰もいない」 「……」 ヒョウガの断言に、シュンはひどく驚いたようだった。 頑なに俯かせ続けていた顔を、ゆっくりとヒョウガに向ける。 ヒョウガの言葉――推察――が事実かどうかを確かめる術は、シュンにはなかった。 二人の卒業生とシュンは対面することを禁じられていた。 シュンは二度とあの二人の上級生に会うことはない。 それは永遠に確かめようのないことだった。 だが、もし事実がヒョウガの言う通りであったなら――。 もしそれが事実であったなら、シュンは二人を、そして自分自身を卑しめずに済む――のだ。 二人を、そして自分を、愚かで罪深い人間だと思わずに済む。 そうであってくれたならどんなにいいか。 願いを込めて、シュンはヒョウガに尋ねた。 「ヒョウガは……ヒョウガだったらそうなの?」 「そうだ。俺なら絶対に後悔しない」 一瞬の間も置かず、きっぱりと言い切ってから、ヒョウガはいったい自分は何を言っているのかと訝ったのである。 たった一人の下級生のために我が身の破滅を招いた二人を、ヒョウガは愚かだと思っていた。そう思っていたはずだったのに。 だが、もしそれが我が身に起きたことなのであれば、ヒョウガは自らが招いた我が身の破滅を後悔するとは思えなかったので――彼は彼自身の発言を訂正も撤回もしなかった。 シュンが、その瞳から一粒だけ涙を零す。 シュンの涙に気付かぬ振りをして、ヒョウガは更に言い募った。 「他人に責任を押しつけたりせず内罰的なのは結構だが、自分に責任のないことで自分を責めるのはナンセンスだ。無意味だし無益だ。それは自分を悲劇の主人公に仕立て上げて酔っているだけの愚行でもある。だいたい、顔が綺麗なだけの奴に誰もが血迷うなら、俺のせいで退校処分になった生徒が100人くらい いてもいいはずだ。だが、俺は一度もそんな話を聞いたことがない!」 「おい、ヒョウガ。おまえ、何を言い出したんだよ……」 それまでヒョウガとシュンの傍らで二人のやりとりを聞いていたセイヤが、思い切り嫌そうな顔になる。 確かにヒョウガは、100人の退校者を出しても不思議ではないほど整った面立ちの持ち主だったが、それは対峙する人間を緊張させることはあっても惑わす類の美貌ではなかった。 ヒョウガの大胆かつ不敵な主張に、シュンが一瞬ぽかんと瞳を見開く。 それからシュンは、くすりと小さく含み笑いを洩らした。 「そうですね。イートンの生徒たちはみんな見る目がないんだ」 皮肉にもとれる言葉を独り言のように口にしてから、シュンはその背筋を伸ばした。 顔をヒョウガに向け、にっこりと笑う。 途端にヒョウガは全身を硬直させることになってしまったのである。 表情ひとつで人はこれほど変わるものかと、改めて思う。 ヒョウガが初めて見るシュンの笑顔は、まさに“花のよう”だった。 他にうまい言葉が見付からない。 修辞学で、シリュウ以外の生徒にトップの座を譲ったことのないヒョウガにも、シュンの笑顔は“いわく言い難い”ものだった。 これは人の目ではなく 人の心を惑わすものだと、ヒョウガは思った。 荒療治の成果はあったようなのに、一向に得意ぶる様子を見せないヒョウガを訝りつつ、シリュウが得意の茶々を入れてくる。 「顔がよくても、ヒョウガは性格が最強に悪いからな」 「口も悪いしなー」 これでシュンが元の明るさを取り戻してくれるかもしれないと期待したセイヤの声は、ラグビーボールのように弾んでいた。 シュンは、セイヤの期待に応えてくれた――と言っていいだろう。 瞳に明るさをたたえるようになったシュンは、だが、セイヤとシリュウの意見を シュンは、悲劇に酔うという愚行の外に彼を連れ出してくれた人をまっすぐに見詰め、静かに、だが確信に満ちた声で、セイヤたちの主張を退けた。 「そんなことありません。ヒョウガ――はとても思い遣りのある人だと思います。僕、この学校に来れてよかった」 それまで少々浮かれた気持ちで軽口を叩いていたシリュウとセイヤが、シュンの至極真面目な声音に触れて口をつぐむ。 シュンは、どう解釈しても、「ヒョウガに会えてよかった」と言っている。 嫌な予感を覚えつつ二人が視線をヒョウガに転じると、そこには、これまで他人に指摘されたことのない自らの美点に戸惑い唖然としているとしか言いようのない、名門イートン校のプリフェクトの顔があった。 |