「シリュウ、おまえ、ヒョウガをけしかけてないか? 悪ふざけもほどほどにしろよ!」 シリュウを追って談話室を出たセイヤが、眉を吊り上げて彼を責めたのは当然のことだったろう。 ウィンチェスターでの事件と同じ騒ぎをここでも起こしてしまったら、彼の大事な幼馴染みは二度と顔をあげて生きることができなくなってしまうかもしれないのだ。 セイヤの懸念がわかっていないはずはないのに――シリュウはセイヤの言を否定することをしなかった。 「我が国では、同性愛者は人として扱われない。上流階級に属さない者も、我が国では人ではない。英国社会が決めたルールに従えない者、低い階級に生まれた者は、この国では人間ではなく ただの労働力だ」 「なに……?」 てっきり苦笑と共に『悪ふざけは控えよう』という返事をもらえるものとばかり思っていたセイヤは、突然真顔で英国社会の現実を語り出したシリュウに、目をみはることになったのである。 「しかし、愛した人がたまたま同性だっただけで、たまたま低い階級の家に生まれついただけで、どれほどの有能も適性も切り捨てられてしまうというのは理不尽なことだと、俺は思う。国益にもならない。英国のモラルや身分制度は、無能な貴族たちが自分の地位を守るために作り出した悪習だ」 「シリュウ……」 シリュウの家は貴族ではない。 “準貴族”という身分に分類されるそれは、シリュウの父祖が彼等の才能と努力で今世紀に入ってから得た地位だった。 彼が――彼等が――そこから更に上のクラスに行くためには、貴族の女性と結婚するか、英国のために目覚しい貢献をして女王から爵位を与えられるしか道はない。 シリュウのように、正真正銘の貴族でないにも関わらず教育を受けることのできるアッパーミドルクラスの者たちは、その教育によって自覚を促された己れの才能のために、そして無能な貴族たちの実情を垣間見ることができるために、現在の自分たちの境遇に憤りを覚えるのだ。 そんなシリュウの気持ちがわかるから、そして、彼の意見は尤もだと同感せざるを得ないせいで、セイヤは彼に反論することができなかった。 「同性愛者やロウアークラスの者だけじゃない。女性もだ。どれほど禁じられていても、我が国の上流階級に同性愛者が多いのは事実だ。社会が、女性に教育は不必要とし、家庭を守ることだけが女性の務めだと言い張っているんだから、それは当然のことだろう。そんな社会では、英国の男たちは自分と同じレベルで語り合える“友”を同性の中にしか見い出せない。肉体だけでなく精神の交流を尊ぶなら、同性同士が親密になることは、ある意味必然の帰結だ。この国はあらゆることが、規則・伝統という差別で成り立っている」 「シリュウ……おまえの憤りはわかるけどさ……」 だからといって、その憤りをヒョウガとシュンにぶつけることはないではないか。 そんな憤りは、この学校を出てオックスフォードを卒業し、国会議員選挙に打って出た時にでも、頑固な貴族たちに向かってぶつければいい。 友人と友人の間で切なげに眉根を寄せるセイヤに気付き、シリュウはゆっくりとその表情を和らげた。 「安心しろ。二人を破滅させようなどとは思っていない。ただ俺は、ヒョウガならどうするのかに興味があるんだ。奴なら、何か突破口を見付けてくれるのではないかという期待もある」 シリュウがやっと見せてくれた笑みに、セイヤが僅かばかりの安堵を覚える。 肩から力を抜いて、だが、セイヤはその首を横に振った。 「でも、そんなの、もう何百年も続いてきたことだろ。頑固なこの国をヒョウガ一人にどうにかしろっていうのかよ」 「その突破口を見付けるだけなら、ヒョウガ一人にだってできるだろう。そうすれば、ヒョウガに続く者が幾人も出るかもしれない。だいいち、俺がヒョウガをけしかける以前から、奴はシュンに惹かれていたと思うが」 「それは――」 それにはセイヤも気付いていた。 気付いていたからこそ、セイヤはシリュウの悪ふざけが容認できなかったのだ。 「けど、でも、へたすると、ヒョウガは道を踏み外すぞ。あいつはクールぶってるけど、タガが外れると周囲が見えなくなる男だ。その上ヒョウガは、凋落したとはいえ、名前だけなら国内に知らない者はない公爵家の跡取り。万一、コトが明るみに出て、ヒョウガが爵位を継げなくなったら――」 「それで何か不都合があるか? ヒョウガほどの才能を持った自信家でも、名前にしかすぎない爵位を失うのは恐ろしいのか?」 「シリュウ」 事も無げにシリュウが言う。 事も無げに頷き返すことは、仮にも子爵家の長男であるセイヤにはできなかった。 「心配は無用。奴は、いざとなれば、アメリカでもフランスでも同性愛が罪とされない自由な国で ひと財産築ける奴だ」 「ヒョウガはそれでいいかもしれないけど、シュンには無理だ。シュンは――」 シュンは、ヒョウガのようにはいかないだろう。 シュンは家族を愛している。 生まれると同時に母を失ったシュンは、残された家族に愛され守られて育ってきた。 ヒョウガがシュンに惹かれているように、シュンもまたヒョウガに惹かれていることは、セイヤも気付いていた。 だが、セイヤには、家族が嘆くことを承知の上でシュンが英国のモラルに反することをするとは思えなかったし、また、家族のしがらみから抜け出すことがシュンにできるとも思えなかった――のだ。 「それはどうかな。シュンが愛しているのは家族であって、伯爵家ではないだろう」 シリュウは確かにヒョウガとシュンの破滅を望んでいるのではなく、ヒョウガをけしかけることで、二人の恋を応援しているだけのようだった。 少なくともシリュウはそういう認識でいるらしい。 セイヤは、友人たちそれぞれの立場と性格を知っているだけに――自分には友人たちにあれこれと指図することはできないということを知っているだけに――カレッジの廊下で長い溜め息を洩らすことしかできなかったのである。 |