氷河が突然 病的な焼きもち焼きになったのは、下世話な言い方をするならば、初めて瞬に“やらせてもらった”からだった――らしい。 初めて瞬との同衾を果たした日の翌日から、氷河は豹変してしまったのである。 否、彼自身の本質は、実は問題の夜前後で何ひとつ変わったわけではなかったのだろう。 もともと彼は独占欲が旺盛で、嫉妬心の強い男だったに違いない。 だが、それまでの彼は自分のその性質を表に出すことをせずにいた。 表に出すことができなかった――と言っていいのかもしれない。 しかし、瞬にその思いを受け入れてもらったことで、彼は、自らの妬心を言動にする権利を得たと信じるに至った――のである。おそらく。 星矢が最初に氷河の変化に気付いたのは、天気予報で紅葉前線の南下の報告が始まった涼秋の候。 氷河と瞬がそういう関係になったことに彼等の仲間が気付いてから半月ほどが経った、ある日のことだった。 紅葉前線は北海道の北部に出現したばかりで、本州ではまだ楓の葉も銀杏の葉も緑の色を保っている。 しかし、秋の気配は 青銅聖闘士たちの住む城戸邸にも 密やかにではあったが確実に近付き、朝夕の気温の降下は、目に見えてわかる紅葉に先駆けて、周囲の空気を秋のそれに変えつつあった。 城戸邸の庭でも、気の早い落葉樹が一枚二枚と葉を落とし始めていた そんな時期。 外出から戻ってきた瞬の肩に、緑色の葉が1枚が乗っているのを、瞬の隣りにいた氷河が認めた時に、それまで隠されていた氷河の本性がついに表出した。 「あ、もう、楡の葉が散り始めてるんだね」 と感慨深げに言った瞬の目の前で、氷河は、ものも言わずに 手にしたその葉を握りつぶしてしまったのである。 「氷河……?」 不思議そうに首をかしげた瞬に、氷河は 忌々しげに、そして堂々と、 「たかが枯葉の分際で、おまえに貼り付くとは図々しいにもほどがある」 そう 真顔で言ってのけたのだった。 「えっ」 氷河の目が怒りに燃えていることに気付き、微笑みかけていたシュンの顔が僅かに強張る。 「この間も似たような図々しい奴がいた」 「図々しい奴って……」 「あれはラウンジのクッションの中身だったのか、部屋からついてきた羽根布団の中身だったのか、白い羽根が1枚おまえの服にへばりついていて、俺がいくら指で払いのけても、おまえにまとわりつき続けていたんだ」 「空気が乾燥してきてるから、きっと静電気のせい……」 ありふれた、ごく常識的な答えを返そうとした瞬は、だが、その先を言葉にするのをやめた。 枯葉やクッションの羽根ごときに、氷河が本気で立腹しているとは思えなかった――思いたくなかったが、万が一、氷河が本気でそんなことを言っているのだとしたら、氷河は静電気にも焼きもちを焼きかねない。 瞬はそう考え、その懸念が瞬から言葉を奪い去ったのである。 たまたま自室のある2階から階下に下りようとしていた星矢と紫龍は、エントランスホールを2階でぐるりと囲んでいる廊下で、そんな二人のやりとりを目撃することになった。 「落ち葉や羽根に焼きもちを焼くなんて、氷河の奴、人間としての尊厳を放棄してないか」 呆れたようにぼやく星矢に、紫龍が訳知り顔で頷く。 「まあ、察するに」 「察するに?」 「よほど瞬の具合いがよかったんだろう。望外の幸運に見舞われると、人間はまともな判断力を失うものだ」 「……」 氷河が人間の尊厳を放棄した発言を真顔で言ってのける男なら、紫龍は、下ネタを真顔で言ってのける男だった。 これくらいでないとアテナの聖闘士などというヤクザな商売はやっていられないのだろうと、地上で最も常識的なアテナの聖闘士であるところの星矢は思ったのである。 その星矢でさえ、同性同士である氷河と瞬が特別に親しい仲になることを奇妙とも不自然とも感じていないのだから、アテナの聖闘士の常識も推して知るべしというところだったが。 「でも、あれじゃあ、氷河はそのうちに瞬の周りにある空気にも焼きもちを焼き始めるんじゃないか?」 「そこまで正気を失うことにはならんだろう。少なくとも氷河は、瞬が身に着けている服には焼きもちを焼いていない。それが必要なものだということはわかっているんだ」 「ああ、そーいや、さすがの氷河も瞬に服を脱げとまでは言わないな。人前では」 してみると氷河は、一個の人間として守らなければならない常識の最低ラインは心得ているらしい。 だからといって彼が人間の尊厳を堅持していると評していいのかどうかは、星矢も大いに迷うところではあったのだが。 「俺、最近やたらに氷河に睨まれてるような気がしてたんだけど、そういうことだったのか……」 氷河と瞬が 氷河と瞬の関係がどういうものに変わろうと、それは自分と瞬の関係には関わりのないことである。 そう考えて、星矢は以前と変わらずに瞬と接していたのだが、氷河はそれを快く思っていなかったに違いない。 今頃そんなことに気付く自分の鈍感さに、星矢は自分で感心することになった。 枯葉や羽根への妬心を隠さず 憤懣やるかたなしといった表情の氷河を、瞬は、困ったような笑みを浮かべて見やっている。 無論、瞬は、氷河に焼きもちを焼かれて得意がったり、それを愛されていることの証拠と認めて安心したりするようなタイプの人間ではない。 当然、氷河の焼きもちは、瞬には決して嬉しいことでも楽しいことでもないだろう。 だが、瞬は、氷河の常軌を逸した そんな振舞いを、わざわざ たしなめるほどのことでもないと考えているようだった。 人様に迷惑をかけるのでない限り、氷河の自由を阻害すべきではない――というのが、自分の常識に照らし合わせた上での瞬の判断であるらしい。 ともかく、そういう経緯で、氷河が 瞬にまとわりつく枯葉にも焼きもちを焼く男になってしまった事実は、城戸邸の青銅聖闘士たちの知るところとなったのだった。 |