星の子学園の園長から 氷河と瞬の許にボランティア活動中止の依頼が来たのは、氷河と瞬が星の子学園に通い始めてから1週間後。 グラード財団の広告宣伝部の人間が 広告代理店のカメラマンと共に星の子学園にやってきて、相当苦労しつつも、二人のボランティア活動の本来の目的であるPR画像を撮り終えた翌日のことだった。 園長の代理で城戸邸にやってきた美穂が、グラード財団総帥の前で、心底から困っているように肩をすぼめる。 「氷河さんが頑張ってくれているのはわかるんです。でも、頑張りすぎというか……。最近、子供たちはみんな、ひどく落ち着きをなくしてて、氷河さんがいない時にも何かに怯えてるふうで――。それに、ここ数日、おねしょをする子が増えてきたの。原因はどう考えても、氷河さんの……」 「氷河の焼きもちか」 星矢の呟きには、やるせない嘆息が混じっていた。 氷河も、自分の焼きもちが、まさか子供たちの布団に影響を及ぼすことになろうとは思ってもいなかったに違いない。 「PR用の絵は撮ったあとだから、私としては、これ以上迷惑の素を星の子学園に送り込み続ける必要はないのだけれど……。ごめんなさいね。こんなことになるとは思ってもいなかったの。氷河は、瞬の側にいられさえすれば、それで満足して大人しくしているものとばかり……」 星矢は、沙織の判断が甘かったと、彼女を責める気にはならなかった。 瞬ひとりだけを星の子学園に送り込むことは もとより無理な話だったのだし、氷河が彼の興味のあること以外で あれほど働き者になることは、誰にも予測不可能なことだったのだ。 何にしても、氷河が星の子学園でのボランティア活動をやめることで、周囲の者たちは、彼がいつ どの子供を人格崩壊させるかと傍で心配する必要がなくなるのである。 星の子学園の園長の申し出は、満場一致で――とはいえ、そこにいたのは沙織と美穂と星矢だけだったが――可決されたのだった。 これで1週間振りに平和が戻るかと思われた城戸邸と星の子学園だったのだが、悲しいかなアテナの聖闘士たちに休息の時は与えられなかった。 美穂が沙織の許を訪ね、用件を済ませて城戸邸を辞していった、まさにその日。 音もなく木の葉の舞い散る秋晴れの庭に、嵐を呼ぶ男が登場したのだった。 すなわち、最愛の弟の誕生日にも姿を現わさなかった瞬の兄が。 それは一輝なりの美学の表われらしかった。 誕生日当日にプレゼントを抱えて いそいそと弟の許を訪ねる大の男という代物はあまりにも無様な存在である――というのが、一輝の“男の美学”であるらしい。 彼の美学にのっとって、彼は毎年、時機を外した この時期に城戸邸に帰ってくる。 氷河のボランティア騒ぎに気をとられ、星矢たちは、その年中行事をすっかり失念していたのだった。 そして、それは、一輝の弟も同様だったらしい。 今年の兄の帰還は、瞬には思いがけないサプライズになったようだった。 「兄さん!」 昨年と同じように、昨年以上に嬉しそうに、瞬が城戸邸のエントランスホールに姿を現した兄の首に飛びついていく。 昨年までは微笑ましく見詰めていたその光景を見せられて、星矢と紫龍はぞっとした。 正しくは、その光景を無言で見詰めている氷河の姿を見て、彼等は寒気を覚えた。 氷河が、瞬と一輝を見ている。 昨年と違い、瞬に近付く者に焼きもちを焼く権利を得たと思っている男が、兄弟の感動の再会シーンを、恐ろしいほどの静けさを保ったままで凝視していた。 瞬が、エントランスホールの空気が妙に張り詰めていることに気付いたのは、『元気でいたか』『何も変わったことはなかったか』という、ありふれたやりとりを兄と一通り交わしてからだった。 仲間たちの不安げな表情。 氷河と庭から戻ってきた自分が、ものも言わずに氷河の側を離れ、兄の胸に飛び込んでいった事実。 今現在、氷河の隣りに“瞬”の姿がないこと。 それらの事柄に、瞬は兄の手の温もりを肩に感じている状態で 気付いた。 せっかく兄が帰ってきてくれたのに、そして、やっと取り戻したばかりの平和の時と場所を、修羅の巷にはしたくない。 瞬は慌てて、兄にしがみつかせていた腕を解いたのだった。 氷河が殊更ゆっくりした足取りで、瞬の兄の側に近寄る。 感情の全く感じられない声と表情で、彼は瞬の兄に短く声をかけた。 「やあ」 「なんだ。貴様、まだ生きていたのか」 何も知らない一輝が、氷河の挨拶(?)に皮肉な目で答える。 「過ごしやすい季節になったからな」 星矢と紫龍の気が抜けるほど、瞬の兄に対する氷河の対応は穏やかなものだった。 一輝の手は瞬の肩に置かれている。 それでも氷河は、一輝の側にいる瞬を兄から引き離そうとしない。 アテナの聖闘士たちの久方ぶりの全員集合は、一見 平和に、実に和やかに執り行なわれた。 これほど緊張感みなぎる平和もないだろうと思えるほど、平和に。 これほど不気味な“和やか”があっていいのだろうかと疑いたくなるほど、和やかに。 「――氷河の奴、何かあったのか。様子がいつもと違うぞ。以前はおまえの側にいるだけで睨みつけられたものだが」 この平和と和やかさが常の状態でないことは、何も事情を知らされていない一輝にも――知らされていないからこそ?――感じ取れるものだったらしい。 一輝が、低い声で瞬に尋ねる。 「え……。あ、うん。こないだまで、僕と氷河、沙織さんに頼まれて星の子学園にボランティアに行ってたの。氷河すごく頑張ったんだけど、子供たちが恐がるからもう来なくていいって言われちゃって、それで今、氷河はちょっとハートブレイク中なんだ」 瞬が、声を潜めることなく通常のボリュームで兄に答えたのは、瞬が、この和やかさに動転していたせいか、瞬自身も氷河の不自然に穏やかな態度の訳がわかっていなかったからなのか、あるいは、氷河や他の仲間たちへの意思表示のためだったのか。 ともかく、星矢たちは、瞬のその返事を聞いて、瞬が氷河との間に新たに築いた関係を兄に隠し通すつもりでいることを知ることになったのである。 最愛 かつ、この世で最も清らかな弟のしでかした愚行を知った際の一輝の反応が容易に察せられるだけに、星矢と紫龍は瞬の用心を当然のことだと思った。 |