瞬は、秋が深まりつつある城戸邸の庭に出ている。 瞬の隣りにいるのは、氷河ではなく瞬の兄。 氷河は、久し振りの再会を果たした兄弟に遠慮して(?)、自室に閉じこもっているらしい。 ラウンジの窓から、和気藹々と再会を祝し合っている兄弟の姿を眺めつつ、星矢はあきれた口調でぼやいた。 「氷河が星の子学園の一件でハートブレイク中なんて、冗談だろ。瞬の奴、言うに事欠いて」 そんな説明で一輝が納得したのは、ひとえに氷河にいつもの覇気――瞬の兄への対抗心とも言う――が見られなかったせいだったろう。 一輝は、理由は何でもいいのだ。 氷河が元気かつ活動的でさえなければ、それで瞬の兄は安心していられるのだから。 「にしても、なんで、氷河の奴、一輝に妬かないんだ? 俺はてっきり血の雨が降るものとばかり思ってたのに」 非力な子供が相手でない分、星矢の声に深刻さはない。 一輝と氷河は二人共、相手を殺さぬ程度に戦う術を心得ている男たちなのだ。 もちろん星矢は、だからといって、この平穏を心から信じる気にはなれなかったし、この平和は嵐の前の静けさにすぎないことを確信していたのではあるけれども。 紫龍が肘掛け椅子の背もたれに上体を深く預け、考え深げな様子で星矢の疑念に答える。 「冷静になって考えてみるとだな。焼きもちというのは、普通、自分と同等か少し上のレベルの相手に対して焼くものだ。自分より偉そうだからと言って、天上の神に焼きもちを焼く人間はいない。迷いなく一心不乱に働いているのが羨ましいと、アリを妬む人間もいない」 紫龍の言葉に、星矢は首をかしげることになったのである。 それは、氷河が一輝に対する妬心を露わにしないことへの説明になっていなかった。 「氷河にとって一輝は天上の神かよ? それともアリンコか?」 「まさに、自分と同等か少し上のレベル――だろうな。本気で嫉妬を覚えていることを表に出したくないくらい、氷河は一輝に嫉妬しているんだ。おそらく」 「それって……ものすごく屈折してないか? 俺には氷河が何を考えてんのか、全然わかんねーんだけど」 「氷河の言動を理解できてしまったらおしまいだ」 それは、紫龍の言う通りである。 氷河の考えを理解できないことで、星矢は改めて自分の正常を認識し、安堵した。 そして、星の子学園の子供たちへの氷河の焼きもちは、実はさほど深刻なものではなかったのかもしれないと、彼は思ったのである。 それが傍迷惑極まりないものだったことは確かだが、氷河は本気で子供たちに嫉妬していたわけではなかったのだ――と。 「でもさ、嫉妬を表に出したくないってのは結構なことだけどさ、一輝相手にそれができるなら、枯葉やガキ共への焼きもちを隠すのは、もっと簡単にできることだろ。なんで氷河はそうしねーんだよ」 「隠す必要がないんだろう。本当に妬いているわけじゃないんだから。あれは、いってみれば、瞬に向けたパフォーマンス、PR活動の一環だったんじゃないか? 沙織さんも言っていただろう。現代は、善行もPRしなければならない時代なんだ。今は、隠れた善行が美徳とされる時代じゃない」 紫龍の言うことは理解できる。 しかし、星矢は、氷河の考えはやはり理解できなかった。 「あの馬鹿げた焼きもちを瞬に見せつけて何になるんだよ。瞬は氷河を好きだから、二人はそういう仲になったんだろ。瞬の前で焼きもちを焼くのは、瞬を信じてないって公言してるようなもんじゃないのか? ボランティア活動ならともかく、嫉妬だの焼きもちだの、そんなものPRしたって無意味だろ。相手は、焼きもち焼かれて悦に入ったりするはずのない瞬なんだから。そもそも焼きもちなんて、そうそう褒められた感情じゃねーし、何の役にも立たねーし」 それが、星矢の疑念の根幹を成すものだった。 星矢自身は、焼きもち・嫉妬などという感情を、これまで誰に対しても感じたことがなかったのだ。 そんな星矢を、紫龍が、憧憬の混じった感嘆の眼差しで見詰める。 「瞬が焼きもちを焼かれることを喜ぶ人間ではないという意見には賛成だが、嫉妬が役に立たないものだという意見には賛成しかねるな。嫉妬心というのは、人類発展の礎であり、貴重なエネルギー源でもある。少し見方を変えれば、人間が自分と同レベルや少し上のレベルの者に嫉妬することが多いのは、努力すれば相手を追い越せるかもしれないポジションに自分が立っているからだということになる。そして、大抵の者は実際に努力する。人間の感情というものは実にうまくできているな。決して追い越すことのできない神に嫉妬しても、それは確かに無意味だろう」 「アリンコに嫉妬しないのは、人間の傲慢の表われかよ」 星矢の鋭い突っ込みに、紫龍が苦笑する。 「まあ、そうだろう。嫉妬を感じなくなるということは、つまり、自分の現状に満足し、あるいは諦め、それ以上の向上・発展の意思を放棄するということでもある。嫉妬心の使い方を間違えて、自分を向上させるのではなく 相手を引きずり落とそうとする方向に動く愚か者もいるにはいるが、よい方向に活用できれば、これほど有効なエネルギー源はないぞ」 「有効なエネルギーねぇ……」 「一輝を倒して血の海を作っても 瞬を悲しませるだけ、一輝を貶めるようなことを口にすれば、そんなことを口にした方が瞬に軽蔑されるだけ――ということは、氷河もわかっていると思う。となれば、奴は、自分が一輝よりいい男になるべく努力するしかない。実に有効だろうが」 「ならいいけど……」 星矢は、それでも、嫉妬の効用を認め、氷河への不審感を払拭することはできなかった。 なにしろ彼は、つい先日まで、罪のない子供たちにおねしょを強いるほど強烈な氷河の嫉妬の発露を、実際にその目で見ていたのだ。 「氷河に本当にそんな殊勝な心掛けがあるのか? 星の子学園のガキ共への態度を見てると、氷河はむしろ邪魔者を蹴散らす方に動きそうじゃん」 「氷河はプライドが高いから、そんな見苦しいことはしないよ」 ふいに、星矢の懸念を否定する言葉をラウンジに響かせたのは、いつのまにか そこにやってきていた氷河の焼きもちの源泉たる人物だった。 |