目覚めると、俺は見知らぬ部屋の寝台の上にいた。 明るく静かな朝の光。 闇の影などどこにも見い出せない、平和そのものの穏やかな朝。 目覚めた部屋はかなり広かった。 余計な装飾品や雑貨の類がないせいで、余計にそう感じられるのかもしれない。 生活をするのに必要な家具しかない、まるでホテルの一室のような部屋だった。 ベッド、ライティングデスク、そして、椅子とチェスト。 目につく家具はそれくらいしかない。 それらは華美なものではなかったが、安作りのものでもなく、上品で、相当金のかかったもののように見えた。 ホテルの部屋のようだという印象にもかかわらず、そして初めて見る部屋であるにもかかわらず、俺はこの部屋によそよそしさを感じることはなかった。 ここは俺の部屋だという意識がある。 だというのに、俺は、自分が何者なのかがわからないんだ。 起き上がり、なぜか場所を知っている洗面室に向かって迷いなく移動する。 そこには俺の上半身を余裕で映せるだけの大きさの鏡があり、その鏡には、金髪と青い目をした一人の男の姿が映っていた。 まあ、綺麗な部類のツラといえるだろう。 胸や肩に古傷のようなものが、一つ二つある。 相当鍛えた身体だということは一目瞭然で、腹には指でつまめるような贅肉は1ミリたりともついていなかった。 どうやら、それが俺らしい。 満足できる出来とまでは思わなかったが、不満を感じるほどでもない。 俺は、その姿を自分の入れ物として受け入れた。 ここはどこなのか。 そして、俺は何者なのか。 到底 可愛げがあるとはいえない俺のツラを見ているだけでは、その答えは得られない。 その答えを手に入れるために、チェストの中から適当に見繕った服を着て、俺はその部屋を出た。 同じようなドアが幾つか並んでいる長い廊下。 その端に、階下に続く階段があった。 そこは随分と広い家らしく――ここはホテルだと言われれば、俺はそれで納得していたかもしれない。 もっとも、階段を下りたところにあるエントランスホールには、宿泊客を受け付けるためのカウンターもクロークもなかったが。 ホールから二方向に廊下がのびている。 俺の足は ためらうことなく右の廊下を歩き始め、俺の手はごく自然な動作で、その廊下に面した ある部屋のドアを開けた。 そこは家族の居間というより、客人のための休憩室――と言った方が正しいような部屋だった。 中央に大きめのセンターテーブルがあり、周囲に布張りの肘掛け椅子が幾つか置かれている。 壁際にも、アンティークの域に片足を突っ込んだような椅子が何脚か置いてあった。 「氷河! たった今連絡が入ったんだけど、沙織さんが2、3日中にこっちに戻ってくるんだと!」 『おはよう』の代わりに、妙に弾んだ明るい響きの声が俺を出迎える。 声の主は彼の声と同じように快活そうな笑顔をした少年だった。 「俺たちが大きな戦いが始まると感じたのは、杞憂だったのかもしれないな」 そして もう一人――センターテーブルに面した肘掛け椅子に腰をおろしていた長髪の男が、心配事が消えたばかりの人間のような顔で、俺を一瞥してくる。 とはいえ、その声にはまだ 少しばかりの緊張が残っているように感じられたが。 彼等には、俺がその場に現れたことを不審に思っている様子がなかった。 では、俺は、ここにいるのが自然な人間で、おそらく、ずっとここで暮らしていたんだろう。 そして――。 『氷河』。それが俺の名前らしい。 俺は、自分の名は憶えていなかったのに、少し経つと、そこにいる二人の男の名を思い出した。 屈託のないガキみたいな顔をしている方が星矢で、長髪の男が紫龍だ。 その星矢が、俺の背後を覗き込んで、 「あれ? 瞬は?」 と、また別の名前を口にした。 『瞬』という名には、聞き覚えがない。 俺は、『氷河』という名には、記憶がないにもかかわらず親和感のようなものを覚えたが、『瞬』という名には全く心が動かされなかった。 何というか―― 一度も足を踏み入れたことのない国に住む見知らぬ一家庭の構成員の名を 唐突に告げられたような、そんな感じがした。 星矢は、人に遠慮を感じさせるような雰囲気のない奴だったので、俺は率直に――遠慮なく、彼に尋ねたんだ。 「氷河というのが俺の名なのか。瞬というのは誰だ」 「おまえ、なに言ってんの?」 それまで、俺がそこにいることを当然のように認めていた星矢が、突然、パンダのでんぐり返しを眺めているような顔を俺に向けてくる。 この世にこれほど珍奇なものはないと言いたげな星矢の目付きが気に障って、俺は星矢に一言物申すべく口を開きかけた。 |