「こっちこい」 腹の虫が収まらないらしい星矢が、そう言って俺を連れていったのは、図書室の隣りにあるAVルームだった。 ホームシアターと表するには大掛かりすぎる機材が部屋の一画に並べてあって、壁の一面が横幅150インチはあるスクリーンになっている。 「おまえの瞬コレクションを見せてやるから、自分の所業をさっさと思い出せ!」 映写機具にメモリカードをセットしながら、星矢が俺を怒鳴りつける。 “俺”の瞬コレクション――それはいったい何なのだと尋ねる前に、ふいに ミニシアター並みの大きさのスクリーンに瞬の笑顔が出現する。 俺は言葉を失った。 季節は春――らしい。 小さな白い花の咲いている庭で、瞬は笑っていた。 ひどく明るく楽しそうな目をして。 瞬は、少しも悲しげじゃなかった。 あの、悲しみを知り尽くした老人のような目をしていない。 あの目じゃない。 瞬は人間の姿と瞳をしていた。 生き生きと明るく、眩しいほどに輝いていて、そして幸福そうだった。 映像で見てこれほどなら、じかに見た その姿はどれほどの光を放っていたのかと思うほどに。 『氷河、そんなの撮ってどうするの』 その映像の中で、瞬が首をかしげる。 『おまえと喧嘩をして、おまえが俺を構ってくれなくなった時に、これを眺めて心を慰めるんだ』 答えたのは俺の声で、瞬はまるで普通の人間のように、その返事に拗ねてみせた。 『もう、そんな馬鹿なことは――』 苦笑しかけた瞬が、ふと言葉を途切らせる。 (まるで普通の人間のように)瞬は疑わしげな目を、瞬にビデオカメラを向けているらしい男の方に向けてきた。 『まさか、僕が、眠ってるとこ、黙って撮ったりしてないよね?』 『あ? ああ』 俺の声は――“氷河”という男を知らない俺にでも、奴が嘘をついているのがすぐにわかる声だった。 瞬は(普通の人間のように)頬を膨らませて――だが、氷河の馬鹿げた行為を責めることはしなかった。 幼い子供をあやすように優しい声で、瞬が、 『僕、いつだって氷河の側にいるから、そんなことしないで』 と言う。 瞬に“お願い”されて、俺はビデオカメラをおろしたらしい。 一瞬焦点がぼけた映像は、次の瞬間には庭の下草を映し出していた。 あんな声で、あんな表情で、瞬に“お願い”されたら、誰だって瞬の意に沿いたいと思うだろう。 “氷河”の対応は至極当然のものだと思う。 その点には納得するが、だが、そもそも瞬はなぜこの男をなじらないんだ。 眠っている人間の姿を、当人に断りなくデータとして残すなんて、痴漢行為と変わりないじゃないか。 星矢が、瞬を忘れ瞬を悲しませている俺に義憤を覚えたように、俺も“氷河”という男に対して怒りを覚えた。 その怒りを途切れさせたのは、義憤にかられて俺をこの部屋に引っ張ってきた星矢の声だった。 とはいえ、それは、今 俺に腹を立てている星矢のものじゃなく、この映像が撮られた時 その場に居合わせていたらしい星矢の声だったが。 『まあ、撮っちまったもんは仕方ねーし。ほら、俺がおまえらを撮ってやるよ。好きなだけ いちゃつけ』 つい先程まで――たった今も――立腹しきって俺を怒鳴りつけていた星矢が、その映像の中では(と言っても、星矢は声だけの出演だったが)、ひどく寛大で、親切ですらあった。 『お、気がきくな』 図々しい“氷河”の答え。 この男は遠慮とか恥とかいうものを知らないのか! 少しは遠慮したらどうなんだ。 星矢も星矢だ。 無遠慮で無礼な男のためにわざわざそんなことをしてやる義理も義務も、星矢にはないはずなのに! (今の)俺の怒りを無視して、まもなく画面の中に俺の姿が現われ、その腕を伸ばし、瞬を掴まえようとする。 瞬は、素早く身を引き、氷河の腕から逃れた。 『やだ、星矢、撮るのやめて。氷河は何するかわかったもんじゃないんだから』 瞬の言葉通り、“氷河”は何をするかわかったもんじゃない男だった。 “氷河”の腕から逃れようとする瞬を追いかけ、掴まえ、その身体を引き寄せると、“氷河”はあろうことか、ビデオカメラを構えている星矢に、 『ちゃんと撮れよ』 と言って、そして、瞬にキスをした――長いキスを始めた。 2秒3秒 軽く触れるだけのキスなら、俺もそれを悪ふざけと笑って許してやっていたかもしれない。 が、奴のキスはそんな可愛いものじゃなかった。 すぐそこに星矢がいて、その様子を記録しているのにだ。 本当に、いったい何なんだ、この破廉恥で厚かましい男は! 怒りと妬ましさ――を、俺はスクリーンの中の俺に感じていた。 それが俺自身だという気はしなかった。 気がつくと、一緒にいたはずの瞬の姿が室内にない。 今は他人である俺にそんな場面を見られたのが恥ずかしいのだろうと思った俺は、だがすぐに その考えを放棄した。 いや、そうじゃない。 瞬は――瞬は、自分が“氷河”に忘れられてしまったことが悲しくて、瞬を憶えていた頃の“氷河”を見ているのがつらくて、この場にいられなくなったんだ。 星矢がこんなものを俺に見せたのは、今、瞬が悲しんでいるから――だ。 瞬を忘れた俺に腹を立てているからじゃなく、忘れたことを俺に思い出させるため――瞬に笑顔を取り戻させるため。 そして、星矢がかつての俺の破廉恥や傍若無人を許していたのは、その破廉恥な男のせいで、瞬が幸せそうに笑っていたからだったんだ。 |