瞬の姿の消えたAVルームに、気まずい沈黙が横たわる。
記録していたデータをすべて吐き出し終えた俺の瞬コレクションの一つは、もしかしたら俺の感想を待っていたのかもしれない。
だが、たった今見せられたものは、俺にとって、『仲がよくて微笑ましいな』なんてご意見ご感想を言えるほど楽しいものじゃなかった。
俺の頭の中では、『瞬はなぜ こんな破廉恥な男を好きで、そんな男のために あんな笑顔を作れていたのか』という疑念が渦巻いていた。

「つかぬことを聞くが、俺はあの子 ――瞬と……つまり、その……寝ていたのか?」
「おまえ、それも忘れてんのかっ」
瞬の退室に思うところがあったのだろう。
瞬の気持ちを考えたら、こんなものは見せるべきではなかったと、星矢は後悔していたのかもしれない。
少なからず気落ちしているようだった星矢は、馬鹿なことを訊いてくる俺に、また眉を吊り上げて怒声を叩きつけてきた。

「おまえが瞬とやらない日なんて、年に15日あるかないかぐらいのもんだったよ! 戦いがあって、まともに横になれない時だけ!」
命懸けの戦いを共に戦ってきた仲間――とはいえ、なぜ そんなことまで知っているのかと星矢に訊こうとして、俺はそうするのをやめた。
“氷河”は瞬しか見えていなくて、他の事や他の人間に気配りのできない男だったんだろう。
人の目を気にする必要はないと思っていた可能性もある。

「大きな戦いのあとで病院に検査入院してる時にも、おまえは瞬のベッドに潜り込むようなド助平野郎だったんだが、本当に忘れているのか? おまえは、他の何は忘れても、それだけは忘れない男だと思っていたぞ」
褒めているのか、呆れ果てているのか――もちろん後者に決まっている――、紫龍の声音には 星矢のような怒気は含まれていなかった。
その分、奴の言葉は俺の胸を深くえぐった。

俺だって、俺が“氷河”でさえなかったら、氷河という男に呆れ果て、さっさと軽蔑してしまっていただろう。
だが、俺が“氷河”という男であることは、俺にも否定できない事実だった。
声も顔も、俺と全く同じ。
そして、その言動も、もしあの瞬に愛されるという幸運に恵まれたなら、有頂天になった俺はこんなふうになりかねないと思ってしまえるようなものだったんだ。

だから、星矢や紫龍の言葉が俺にもたらしたものは、“氷河への軽蔑”ではなく、“瞬に対する驚き”だった。
実際に“俺”と瞬がいちゃついている(としか言いようのない)記録を見せられても、星矢や紫龍の語る俺と瞬の関係は、俺には にわかには信じ難いものだったんだ。

「それを、瞬……は、受け入れていたのか。本当に? あんなに清純そうな子なのに」
「仕方ねーだろ。俺だってなんでなのかわかんねーけど、瞬は、おまえのためなら命も投げ出そうってくらい、おまえを好きだったんだから。おまえがどんな我儘言っても、瞬はいつも笑って嬉しそうに許してやってたよ」
少ししんみりした口調になった星矢が、すぐに はっと我にかえる。
我にかえって、星矢は、不幸にも奴のすぐそばに置かれていたプロジェクターに、その拳を叩きつけた。

「それを忘れただとっ !? 」
「俺だって、忘れたくて忘れたわけじゃないっ!」
誰が忘れたいものか。
頭のてっぺんから爪先まで、その表情から仕草まで、すべてが俺の好みに完全に合致している人間に 恋されていた幸運を!
それは、絶対に忘れたくないことだった。

なのに――なのに、俺はすべてを忘れてしまっている。
俺は、一方的に俺を責める星矢に――というよりは、俺自身に――腹が立って、星矢に負けないくらいの怒声を響かせてAVルームを出た。
「沙織さんが戻ってきたら、おまえなんか すぐにアタマの病院にぶち込んでやるからなっ!」
俺が閉じたドアに星矢の大声がぶつかり、そして拡散する。

星矢の怒りは当然のことだと、俺は思った。
傍から見たら、今の俺は確かに不実で最低な男だ。
俺だって、そんな男には腹が立つ。
俺は頭が がんがんしてきた。
怒りと驚きが頭の中でせめぎ合っていたかと思うと、次の瞬間には その二つが結託して、俺本体に攻撃を仕掛けてくるような、そんな感覚のせいで。
頭痛の鋭い痛みではなく、頭の中で鼓膜も破れそうな大音響が木霊して俺の頭を割ろうとしているような、そんな感覚が、俺を耐え難いほどの不快な気分に陥らせる。
俺の思考と感情は滅茶苦茶に混乱していた。

あの澄んだ泉のように清潔そうな面差しの持ち主が、本当に俺の――星矢たちの話を聞いた限りでは、浅ましさ丸出しのド助平だったらしい俺の――愛撫を受け、俺のために身体を開いてくれていたのか?
あの清純そのものの姿をしたものが、俺に身体を撫でまわされて喘いだり、歓喜の声をあげたりしていたのか?
それも、ほぼ毎晩?

俺には、瞬のそんな姿は想像もできなかった。
それが事実なら、“氷河”という男は、よくそんな勇気を持てたものだと思う。
あんな綺麗なものを汚す勇気は俺には持ち得ないものだし、それは、この世界のすべての純粋なものへの冒涜のように感じられる。
普通の感覚を持った人間にできることじゃない。
それをしてのけていたのなら、“氷河”は確かに常軌を逸した変人で、身の程知らずの愚か者だ。
瞬に愛されるという幸運に見舞われたせいで、“氷河”は是非の判断もできなくなっていたんだ、おそらく。
俺には、そうとしか思えなかった。






【next】