「その……星矢に聞いたんだが、すまない。俺は君のことを思い出せない」
もっと他に、もっと瞬の心が慰められるようなことを言ってやりたいのに、俺の口から出てきたものは、かすれ上擦った声の詰まらない謝罪の言葉だった。
「いいんだ。思い出さなくて。思い出せないことを、氷河が気にすることはないよ」
目を伏せたまま、瞬が微かに首を横に振る。
本当に『氷河に非はない』と思っているらしい瞬のその仕草が、俺には理解できず、腹立たしかった。

「なぜ、氷河おれを責めないんだ」
“氷河”は瞬にとって不実極まりない恋人だというのに、そんな不実も許せてしまうほど、瞬は“氷河”を愛していたのか?
“氷河”は、それほど価値のある男か?

「氷河のせいじゃないから」
それでも瞬は“氷河”を許す。
いったい なぜなんだ。

星矢や紫龍が言うには、“氷河”はこれ以上の傍若無人が この世にあるかと思えるほどの傍若無人さで、瞬に接していたらしい。
それが当然の権利と言うように、いつも瞬に最も近いところを自分の居場所にし、その肩を抱き、見詰め、我がもの顔で瞬に好き勝手をしていた――らしい。
俺は、瞬のことを忘れてしまったように、自分のことも その大部分を忘れていた。
だが、それでも俺は氷河だ。
氷河の考えは手に取るようにわかる。

氷河の傍若無人は、ただの見えだ。
そして、奴は、これみよがしに瞬が自分のものであるかのように振舞うことで、他の誰かが瞬に手を出そうとするのを牽制していたんだ。
人目がなかったら、そして、誰にも瞬を奪われることはないと確信できていたなら、奴はそんな傍若無人な態度を取ることはなかっただろう。
奴は心の底では、瞬に足蹴にされることも喜べるほど――瞬に跪いていた。
おそらく、そうしてくれと頼まれても、瞬はそんなことはしないだろうが。

ともかく、“氷河”はそういう男だ。
俺がそう思うんだから、間違いはない。
見栄坊で、独占欲が強くて、瞬を誰かに奪われることを何より恐れる 情けない男。
そんな男が、あの瞬を裸にし、犯していたのか? 本当に?
そんなことを俺がしていたのか?
なんて図々しい男なんだ!
そして、なんてムカつく幸運な男なんだ……!

どうあっても瞬のことを思い出せない自分に、俺は怒りと苛立ちを禁じ得なかった。
瞬を忘れた“氷河”――俺。
瞬は、今 俺の目の前で項垂れ、涙に濡れた瞳を隠そうと努めている。
俺に忘れられてしまう以前の瞬は、あんなに明るく幸せそうな目をしていたのに。
俺は心から、何よりも、瞬を愛していただろう。
憧憬にも似た思いで、瞬を見詰めていたに違いない。

澄んで清らかな瞳と表情の持ち主を、たとえ汚しても自分のものにしたいほどに、俺は瞬を愛していた。
そして、愛されていたのだ。
その事実を、だが、今の俺は人づてに聞くことしかできない。
俺は、そんなことを人に知らされたくなかった。
他人に語られたくなかった。
俺は、その事実を自分で実感したい。
二人の恋の第三者でなどいたくない。
二人がどんなふうに寄り添い生きていたのか、他人として他人から知らされるのは、もううんざりだ!

忘れてしまった恋人が、俺を苦しめる――。
忘れてしまった俺でさえ、こんなに苦しいんだ。
忘れられてしまった瞬の苦しさはどれほどのものなのか――。
身を焼くような思いで、俺はそう思った。

そして、そう思った次の瞬間に、不思議な考えが生まれてきた。
そのつらさ、苦しさに、瞬は泣き事ひとつ言わずに耐えている。
それはいったい なぜだ?

『いいんだ』
もしかしたら瞬は、俺に思い出してほしくないんじゃないだろうか。
『氷河のせいじゃないから』
瞬は、こうなった原因を――俺が瞬を忘れてしまった原因を、知っているんじゃないだろうか――?






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