瞬の服が早く乾くように、俺たちは森を出て、風通しのいい野の方に移動することにした。 適当な所に座ればいいと俺が言うと、瞬はやたらと周囲を見まわし迷う素振りを見せてから、やっと気に入った場所を見付けたらしく、その場にぺたんと座り込んだ。 何をぐずぐずしているのかと思ったら、瞬は花のない場所を探していたらしい。 花を押し潰さずに済む場所を見付けるのに、瞬は手間取っていたようだった。 この苑の花は枯れない――死なない。 潰してしまうことなど気にする必要はないのに。 おかけで俺は、人間の世界の花は枯れる――という不愉快で不可解で残酷な事実を思い出してしまった。 それが自然なこととされる世界に生きていた瞬は、だから、少しでも花の命を永らえさせようとしたわけだ。 瞬は人間だが、心根の優しい人間なのかもしれないと思った。 そう思えることが嬉しかった。 「おまえは人間の世界から来たのか? おまえも人間なのか?」 俺は“彼女”以外の言葉を操る者と接するのは これが初めてだったので、瞬が瞬の居場所を定めると早速 興味津々で瞬に話しかけていったんだ。 俺の質問を奇異に思ったらしかったが、瞬はこくりと頷いた。 「村から逃げてきたの」 「誰かにいじめられたのか」 人間たちが いずれ失われると定められている命を互いに消し合う愚行を犯しているという話は、俺も彼女から聞いて知っていた。 が、まさか『殺されそうになったのか』と直截的に問うこともできなかった俺は、人間たちの住む場所から逃げてここに来たという瞬に、そういう尋ね方をした。 瞬が、今度は縦にとも横にともなく首を振る。 「村の領主様が、僕に館にあがるように言ってきたから」 「それはよくないことなのか」 「領主様は、僕の自由を奪って、僕を自分の言いなりにしようとしているの」 「嫌なら断ればいいのに」 「僕は、身分も何の力も持っていない子供だもの。そんなことをしたら、村のみんなに迷惑がかかる。僕は病で死んだことにしてくれって言って、生まれ育った村を出てきたんだ」 「身分……? 人間の世界には面倒なものがあるんだな。嫌なことを強要されて、それを拒否することもできないなんて、馬鹿げてる」 幸い瞬は誰かに殺されかけたのではないらしかったが、瞬が故郷を捨てなければならなくなった理由というのは、俺には理解し難いものだった。 瞬は何か悪いことをしたわけでもないようなのに。 それとも、高い身分や力を持っていないということは、人間の世界では良くないこと――罪――なんだろうか。 瞬は、自分の身に降りかかってきた理不尽に腹を立てている様子を見せない。 そんな瞬の代わりに――というのではないが、俺はひどく腹が立った。 「あなた……は人間ではないの」 そんな俺に瞬が尋ねてくる。 不思議そうな顔をして、綺麗な瞳を不安そうに揺らして。 「俺の名は氷河だ。俺は――人間なのかな。そうだったのかもしれない」 曖昧なその答えは、彼女から知らされた通りのものだ。 この無憂の苑では、自分が何者なのかなんて考えることには、あまり意味がない。 ここにいれば、俺は人間ではないものでいられるんだから。 俺の答えを聞いて、瞬は変な顔をした。 俺は人間の男と同じ姿をしているそうだから(確かに花には似ていない)、その俺が自分を人間だと認めないことが、瞬は不思議だったのかもしれない。 だが俺は本当に、自分を人間だと思ったことはなかったんだ。あるいは、思いたくなかったと言うべきかもしれないが。 当然だろう。 人間は――いや、人間の世界は、理不尽な苦しみ悲しみと、決して免れることのできない死という未来でできている。 自分がそんな世界に所属するものだと思いたがる者はいない。 いないはずだ。 「ここにいればいい。ここには身分もないし、誰もおまえの自由を奪ったりしない」 俺が、人間である瞬にそう言ったのは、瞬の姿が俺の好きな花に似ていたせいだったろう。 そして、こんな綺麗な人間がいるのなら、悪いのは人間そのものじゃなく、人間の世界の仕組みなのかもしれないと思ったからだった。 それなら、そんな世界は捨ててしまえばいい。 「いてもいいの? ここの領主様はどんな方?」 「領主……というのではないと思うが、この世界を司っているのは、さっき言った俺の母――母のような人だ。あの人はきっと、おまえがここに住むことを許してくれるだろう。おまえは綺麗だし、もう血の匂いもしないから」 それは口を衝いて出た出まかせだった。 この世界の女王は、自分の気に入ったものしかこの国に入れない。 そして彼女は人間を嫌悪している。 それはわかっていたんだが――。 彼女は優しい人だ――多分。 人間だったかもしれない俺が、この無憂の国にいることを許してくれているんだから。 だが、彼女は滅多に俺と話をしてくれない。 俺は、瞬が俺の話相手になってくれることを期待したんだ。 野に咲く花は美しいが、話しかけても何も言ってくれない。 瞬は花のように美しくて、俺が話しかければ答えを返してくれる。 それが嬉しくて楽しかったから、俺は、もし彼女が瞬がこの園にとどまることを渋っても、必ず彼女を説き伏せようと心に決めていた。 |